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2009年12月26日土曜日

クリスマスプレゼント。

クリスマスイブは家族付き合いのローゼンバーガー・ファミリーのところに例年のように行って来た。母の死から2年行かなかったが、今年から私達の生活も元に戻して行くことにした。

イブは夜中に戻ってくるので、次の日のクリスマス当日は10時頃、ゆっくり起きる。
そして、すぐテレビをつける。
TBSで一日中、A Christmas Story!!!この映画を繰り返し放映している。私達の超お気に入りの映画である。
このクリスマスカードは本屋で見つけた。6ドルもした!
この映画をバックにパジャマを着たまま、クリスマスツリーの下に置いてあるプレゼントを開ける。
毎年プレゼントを持って現れる父親はリハビリセンターに入っているし、私はボーフレンドも今年はいないので、私達のクリスマスプレゼントは私からが80%。
サプライズの小さなプレゼントは暖炉のに吊るしてあるソックスに。
大きなプレゼントはすでに知っているので、この小さなプレゼントが小さな楽しみだ。
ボクサー。ターゲット(スーパーマーケット)で見つけた。1つしかなかった!
プレゼントはないと私は息子に言いながら、それでもいつも通り沢山のプレゼントとなった。自分から自分へのプレゼントも!:)

息子からのプレゼントは彼がセラミックのクラスで作った焼き物。
歯磨きブラシ立てと言っているが、私は鉛筆立てにして使いたい。去年から我が家はこの映画と同じように、チャイニーズレストラン(北京ダックハウス)に行って北京ダックを食べる。バイキング、食べ放題25ドル。しかも、ここは本当においしい。
しかし、食べ過ぎて私は気分が悪くなってしまった。きっと、一気に食べたせいだと思う。
帰って来てカウチで羽布団をかけて昼寝をさせていただいた。私の愛犬,チャウダーと。
息子は去年と同じで友達のレイクハウスにスキーをしに、この晩から5日間も出かけるので、その準備を自分でしていた。
部屋の大掃除をしないと行ってはいけないと言ってあったので、部屋の掃除もちゃんとしたようである。14歳になると自分のことは自分で出来るようになるのだから、有り難いことである。その上、2時間ほど昼寝をして起きた私にお茶まで入れてくれた。
私は結局、クリスマスは何もしないで一日中カウチに寝ていた。けれど、これは私にとっては贅沢な休日だった。

そして、私達のiPhoneは最高のクリスマスプレゼントとなった。
小さなマックのコンピューターだ。
テキストメッセージのプランに私がサインアップしなくても、AIMでメール出来ると分かった。スカイプもできる。日本語でメールが受けとれるのは分かったが、日本語で打てるかどうかは分からなかった。もちろん、打てるのである。すごい!クリスマスディーはカウチでiPhoneの使い方のお勉強日となった。

”今年はとてもいいクリスマスだった。来年はいい年にしよう。”と新しい電話にメッセージをレイクハウスに行く車の中で送って来てくれた息子に感謝。

26日の今日は雨で風が強く、落ち込みそうな天気だが、それでもスキーに出かけるとメールが来た。私はそろそろ、予定の掃除にかかりたい。

2009年12月23日水曜日

クリスマスになってしまう。

二日を残してクリスマス。
今年のクリスマスプレゼントの1つはこれだ。Buy 1 Get 1 freeのディールをチケットマスターのメールで見つけた。
迷わず購入。2人で126ドルは安い!
Cirque Du Soleilを見るのはディズニーワールドで見て以来だ。
この日、22日は息子にとっても私にとってもいい日じゃなかった。
2人とも機嫌が悪いまま出かけた。
しかも、2人ともお腹がかなりすいていた。しかも息子が予定より30分以上も遅れて帰って来たので、ショーの前に食事ができるかどうかであせっていて、ゆったりした気分もない。
ステーキかイタリアンで食事してと考えていたが時間もないので、2度ほどランチを食べたことのあるダイナーに入った。ファンシーに時間の余裕を持ってナイスな食事にはならなかったけれど、ここはおいしいので悪くはない。ウェイターにショーを見に行くのに時間が余りないからと説明してあったので、なんとか間に合いそうだった。
何よりショーの前に食べれたことに感謝しなくてはならない。
寒いから沢山着込んでいきなさいといっても、息子は聞かず、コートも着ていない、手袋もマフラーもしていない。見ているだけで寒そうなのだ。”走ると寒くはないわよ”と私達は34丁目を東に走った。
2人とも不運な一日だったから、気分をあげるのに時間がかかった。
私達の席は4日前の購入の割にはいい席だった。右端のブロックだったが、前から12席め。
ショーはスケートボード,スケート,自転車の芸で始まり、雪を待っているという設定。
息子にぴったりの設定だった。
私が大雪の日に雪国で産まれているので、雪に執着心があり、その親に育てられた息子も雪に執着心がある。私達は1年中,雪を待っているところがある。
このショーのお話のようである。
休憩の後、ステージは雪景色になった。後半は期待したより随分短く、フィナーレになった時、これで終わり?と2人とも残念だった。すると、
観客席に雪が降った。電話のカメラで写真を撮っている人たちを見て、私もこれはブログにと焦って写真を撮ったのだが、余りうまく撮れなかったが、雰囲気は分かってもらえるかもしれない。沢山の紙吹雪が会場を覆った。凄く凄く奇麗だった。
満たされた気分になった。いいことがなかった一日もこの雪でいい日になった。帰り道で Starbucksでラテを飲んで、家に帰る途中に、ロックフェラーのツリーの横を通った。今年もちゃんと2人でツリーを見れた。私達はニューヨークがやっぱり好きだ。
クリスマス前のニューヨークはいろんな国や州から来ている旅行者で混雑していた。

もう1つのプレゼントは電話をアップグレードする。
友達のブログで欲しい電話がないというのを読んだが、アメリカでも沢山の機種が出回り、かなり進化しているのに私は今のブラックベリーに満足していて他の機種に興味がない。しかし、息子と一緒にアップグレードするとなると、やはり、Macユーザーの私達にとってはiPhoneしかないように思う。
クリスマスの2日前、2人ともiPhone確保。2年前は日本で使えなかったiPhoneもこの2年で日本対応となって使えるという。しかも日本語のメールも受けとれる。これには感心した。
ブラックベリーがいいとはもう言わないだろう。
一ヶ月後に一人で日本に帰る私は息子とこれで簡単に電話出来るとなると、このアップグレードには意味がある。
だがまだ使い方に慣れないのでうまく使いこなせれない。さすがにコンピューター世代の息子は簡単に使い方を把握する。これも感心だ。

今年はデジタルテレビがもうひとつの大きなプレゼントだった。
これはサンクスギビングのブラック・フライディーと呼ばれるセールでお安く購入した。この際、テレビにもリボンでもつけておこうかと思う。

今年も終わりです。寅の絵を描く、これが今年中の宿題。
”うちの元ダンナはホームレス”の執筆も宿題の1つ。
家を片付ける。これが正月までにすること。

2009年12月22日火曜日

初雪の代償は?

週末に初スキー。待ちに待った私達のいつも行くスキー場はオープンした。
今日は大雪になるというのにどうしてもスキーに行くと言う息子の希望を聞いて2人の友達を連れていくことになった。
早めに帰るという条件で。

私達はもう7、8年、ここから1時間以内で行けるスキー場のシーズンパスを毎年,購入している。ティーンエイジャーになると、親とスキーには行かない。友達が必要。だから、息子は3人の友達にもこのパスを買うように勧めた。だから、今年は、スキーに行くということはこの3人の付録がついて来るのである。
しかし、彼らはパスを買った後,写真などをダウンロードしていなく、パスは送られて来ていなかった。ということは事務所によってパスを貰ってこなくてはならない。スキー場はオープンしたてだから、こういった人で事務所は混む。案の定、1時間以上待たなければパスは手に入らなかった。

夕方から雪が降るという天気予報だったから、早くに帰りたかったので、早めに滑り始めたかったが、この友達たちの不手際で、1時間半以上時間を無駄にした。

3時頃からちらり降り出した雪は5時頃にはかなり本格的に降り出していた。
スタートが遅かったので、当然彼らはまだ滑りたい。
スキー場ではさほど降っている気がしなかったので、後一時間ぐらい大丈夫かと私も2度ほど滑った。
これが甘かった。
7時すぎにスキー場を出たが、雪はどんどん降り続き、除雪車もこの時点では頻繁にまわれないらしく、道はひどくなる一方だった。
だから、10マイルから20マイルでゆっくり走るしか仕方がない。ギアをセカンドに入れてゆっくり走る。けれど、ワイパーが零下8度で凍り付いてしまうので、何度か停まって氷を取らなければならなかった。
高速道路にも車は ほとんどなく、立ち往生している車を幾つか通り越した。気の毒である。
AWDの車だから雪に強いといっても、さすがにこの状態での運転は怖かった。
287号線は電気も消えていたりして暗く、車は数えるほどで、閉鎖してしまっているのかと思ったほど閑散としていた。208号線に入っても車は少なく不安な気分で走り続けた。
お腹がすいたと息子とその友達2人に言われても、先が見えるまで走り続けるしか仕方がなかった。繁華街に近づき、4号線の道にようやく入り、車の量もかなり増えると、ややほっした。こうして先が見えた頃、ファーストフードでバーガーを与えたが、いつもの2倍オ—ダーしている。余程、お腹がすいていたのだろう。
2時間半かかって家に辿り着いた。
次の日の朝、10時半にこの友達は私の家に現れた。
うちの家の前庭に滑り台とレールを息子は設置してトリックの練習をしているので、彼らもそれをしに来たのである。
雪かきをしないと車が出ないので、雪かきをこの子たちに頼んだが、息子も含めて誰も雪かきをしようとしない。後でというのだが、後になると雪も溶け出して重くなるし、アイスホッケーの試合に送れるのも困る。
私もスキーウエアに着替えて、子供たちに支持して手伝わせたが、4人とも役立たずで、半分手伝ったかどうか?
170cmから180cmのでかいティーンエイジャーが4人もいるというのに、ほとんどの雪かきは私の仕事なのである。
サイドウォークと敷地の境目にある木(垣根のようなもの)は春になると黄色い花をつけて奇麗である。それを初心者の子が何度も倒すので、他の子のように極力そちらに着地しないようにコントロールするように言った。万が一、倒した場合は、折れていない限り大丈夫なので、引っ張って立たすようにしなさいと言った。
2時半にはアイスホッケーの試合があったので私達は出かけた。
私は彼らは帰るものと思っていた。ところが、その間もうちの前庭に残って滑っていて、6時半に戻っても、まだいたのである。
仕方なしにピザをオーダー。晩ご飯をたべさせ、暗くなっていたので家まで送った。
次の朝に木は倒され、4本以上の木は完全に折れて放置されていた。この惨事を発見した私と息子は、さすがに笑ってもいられなかった。そのことを報告もせず、謝りもしないで、食事をして、その上、私は一人一人の家まで送っていった。
現時点では”Too Much"と言いたい。
23日、半日で学校は終わり、1月4日に始まる。
25日からは友達のレイクハウスに行っていなくなるので、私は掃除に専念する。
またトリックの練習をするから23日に戻って来るとスノーボードをうちに置いて帰った友達だが、残念ながら、ノーと言わなくてはならない。これ以上の破壊はごめんである。

今年のクリスマスプレゼントの1つはCirque Du Soleil Wintuk in New York。
今晩、マジソン・スクエア・ガーデンに行ってきます。
くわしいことは、また明日!

2009年12月15日火曜日

ロックフェラーのクリスマスツリー

年に2度,イタリアからのトレンドカラーのセミナー・MODA INがNYである。このセミナーは東京にも行くので、知っている人もいるかもしれない。
2年前はこのロックフェラーのビルで行なっていたが,今年はコロンバスサークルにあるホテルで行なわれた。9時から11時まででバイキングの朝食付き。この主催者のアンジェロと私の友達のサムが友達なので、この贅沢なセミナーにサムに紹介してもらって以来、5年前から招待状が来るので参加できる。どちらかというとアパレル向きのトレンドカラーのセミナーだが色の動向として私のデザインにもヒントはある。
コロンバスサークルはウエストの62丁目、38丁目にボタンを買いに行きたかった。26ブロックを歩こうと決めたのは、このツリーを見ようと思ったからである。トレンドカラーセミナーで彼らの作品をいつも写真に納めるのでカメラを持っていたし、ブログに載せようと思った。けれどそれならもっと別のアングルで撮るべきだったと反省しているのである。きっと,ボタンのことや息子のバスケットボールシューズのことやアートサブミッションのことなどを考えていて、どこから写真を撮ればもっといい写真になるとか考えていなかった。
これは裏側から見たツリー。人ごみを避けて歩いた結果がです。
こうして,私の頭の中はいろんなのことがランダムに混雑しているので、何かとこうした失敗が多い。ほぼ毎年,10年ほど、クリスマスイブは非常に親しい間柄の家族のところで過ごす。3年前、私の家はジョージワシントン橋のすぐそばなので,高速道路の”これがNYに入る前の最後の出口”を出なくてはならないのに、何を考えていたか?私は出損ねた。
息子に出口を見逃したから,橋を渡らなくちゃいけないわというと、じゃ,ロックフェラーのツリーを見に行こというので,それもいい案だなぁと48丁目に向かうことにした。
クリスマスイブにNY市内になんて行った事がないので、私達は嬉しかった。15分で着いてしまう近さである。ぐるっと回ってツリーの横を通れる道に入ることにした。勿論、混んでいてとろとろとツリーのところに来るのを待った。トロ,トロ,トロと動く車,時計は12時に近くになっていた。ツリーの周りはツーリストで賑わっていて、彼らは大晦日のビックアップルのカウントダウンのように、カウントダウンを始めていた。10,9,8,7,6,5,4,3,2,1,私達は12時ジャスト,ツリーを車から眺めていた。計算したって,あの偶然はあり得ないと思う。

頭の中が忙しくて、ミステイクも多いが、ミステイクがラッキーになることもある。

12月6日、初雪の中、クリスマスツリーをゲットして,しばらくガレージにおかれたままになっていたうちのツリーも三日前の日曜日にクリスマスツリーらしくなった。
去年は大雨の中、ゲットしたツリーがあまりにもパーフェクトなツリーだったため、捨てるのが惜しかったくらいだった。今年は雪で,またまた.悪い条件だったが、こうして飾ってみると,去年のより小さかったりするが,悪くないツリーである.満足。
私と息子はこうして、毎年,私達の思い出を2人で作っていく。

2009年12月9日水曜日

作家になる条件。

一年経つのが早すぎる。
一ヶ月過ぎるのが早すぎる。
1週間があっという間。
24時間では足らない。これがいつも私の口癖である。どこを削るかと云うと睡眠になってしまうが、このところ,眠くて仕方がない。目が開けていられなくなる。冬眠の時期になったからかと思うほどだ。

アートワークの作成,プレゼンテーションの作成のため、14日まで大変忙しい。
”うちの元ダンナはホームレス”は来週までは書けないようだ。
本を書くというのは,監禁状態で一気に書く方がいいと思う。
自分を完全にそのストーリの中に入れて、話と一緒にならなくては,いい物が書けない。
息子が8歳のときに書いていた小説”パフォーマンス”は結末まで行かず、80% まで書いた後、保留でついに6年も経ってしまった。
一から読み直して,書き直していくとまた最後にまでいかない。
最後まで何が何でも書き上げて,最終的にはどこかに監禁して仕上げないと書き終えないとまとまった話にならない。

息子の用事の合間合間に仕事をして来た私にとって、時間とは贅沢品だとつくづく思う。
作家である条件として、子供がいないとか子供の面倒を見なくていい、スポンサーがいる、これが一番大事な条件に思う。
私はこの条件にあてはまらない。通りで成功しないはずだ!
なぜこんなことを私が言っているのだろうと思う人はこの映画を見て欲しい。
作家になっても厳しいのだということも分かる。
息子がスキー場のオープンがこの土曜日でどうしても行くと言って聞かない。
昔なら,スキーの相手は私だったが,今は全ては友達とアレンジして,私は運転手の立場に近い。
コンピューター持参で行って、私は余り滑らずバーかカフェテリアでストーリーを書くことになるかもしれない。
こんな感じで時間を使わないと余った時間がないのである。

最近,クマになりたいとしきりに繰り返して思う。
けれど、時間になると目が覚めてしまうのも、悲しいかな事実である。冬眠も難しい。

2009年12月5日土曜日

タイムアウト式の躾。

タイムアウトとは、アメリカ人がする幼児期の子供の躾のこと。悪いことをしたら,しばらく椅子に座らせるとか,何かをやめさせて、悪いことをしたということを教える躾。子供が成長していく過程では、一週間とか,期間を決めて好きなものを取り上げる。外出禁止にする。など,親によって様々。
学校に入るとディテンション(detention)と呼ばれるもの。学校が終わってから30分ぐらい残される罰がある。これもタイムアウト式の延長線にある躾。
当然この方式で育てられた子供が親になるので,タイムアウト式の躾で子供を育てるのである。それが正しいと信じ込んで育った井の中の蛙のアメリカ人たちは、何事に対してもタイムアウト式に考えるようになってしまう。
アメリカはタイムアウト国と呼んでもいい。

どのアメリカ人も何か悪いことをしたら、彼が好きな物を取り上げなさいとタイムアウト式の躾を教えてくれた。けれど、私の息子には余りこれは効き目がない。

日本では今はどんな風に今は子供を躾ているんだろう?
私は押し入れや納屋に入れられたことを覚えている。自ら押し入れに籠ったこともある。
何かをしばらく取り上げられたリ,テレビをが見れなかったりしたのかもしれないが,余り覚えていない。取り上げられても困らなかったのかもしれない。

こちらは親によって違うが、子供の大事な物を取り上げることが躾であるが、子供の自由を取り上げて困るのは親たちだと思う。
物を取り上げられても,いずれは戻って来ることを知っているのだから、子供も楽観的に考えている。完全に捨てればもっと効果的だが,親も高いお金を出しているのでそう簡単に捨てられない。
コンピューターやビデオゲーム,特に携帯電話は親を楽にしているのも確かである。
それを取り上げる親も大変なのである。

アメリカはやる気のある者には優しいが,やる気のない者は皆切り捨てられていく。
人材を育てるというシステムが余りない。弟子入りして育てて行くという考えがないので、役に立たなければやめさせればいい、そう、お金を払っている場合は,クビ。
スポーツチームの場合は、ベンチにする。タイムアウトにする。ただ,そこで見ていなさいという処理になる。
ベンチに座っている子供の試合を見に行く親はたまったもんじゃない。
学校も割と簡単に落第させてしまう。ぎりぎりの線にいる場合は、親が掛け合うと状況は好転することもあるので,親次第というところもたまにはあるので諦めない方がいい。
子供を育てることのできないコーチや学校の先生が多いのはやはりタイムアウト式の躾で育ってきたせいではないかと思うことが度々ある。その時だけの処理で根本的な問題を解決しようとしないところがある。

アメリカ人は臭い物に蓋をするし、見て見ぬ振りをするし、嫉妬深いので、孤立しやすい。
だから、カウンセラーなどの職業が成り立つ。しかし,そのカウンセラーのプライベートが問題だらけということが多い。自分の子供すら育てられないのに子供の精神科医であるという話しは私が知っているだけで3件もある。

タイムアウト式で育てられている息子の友達が何度タイムアウトされても同じ誤ちを繰り返しているのを見ているだけに、私はタイムアウト制度に納得がいかない。

2009年11月28日土曜日

飽和、そして消化。

自叙伝を書き出して思うことだが、書き残すということは凄いパワーだと思う。
すごいエネルギーがいる。すごく疲れる。
事実に添って書いているので、全ては私の記憶に頼らなくてはいけないのだが、私の記憶は非常にランダムで、たかが3ヶ月ほど前のことなのにはっきり覚えていなかったりする。しかも、今という日は過去という日の上に成り立つので、過去も書かないといけない。
だから、なかなか私の話しは今に追いつかない。
書いていくといろんなことが自分の中で飽和して消化していく。

記憶は都合のいい記憶しか残していかないので、こうして書き留めるのは大切な気がする。
自分の人生を通して、自分に教わるとは不思議だが、確実に私は今、書くことで自分の人生を消化している。
結構、悲惨な話しもすでに書いたし、勿論、もっと悲惨な話しも出てくるけれど、人生とは面白いものである。つづきがある。
どんどんつづきがある。そして、ストーリーのエンディングは自分達で作っていけるんだなぁとも思う。

まだ話しは3ヶ月前で今日に至っていないが、なんとか今年が終わるまでには追いついて、来年は現在進行形で話しを前向きな状況で書いていきたい。

今日は私の書いているストーリーの主人公の誕生日である。この主人公は現在進行形で私の書いている話の方向を決めてくれる重要なパート。
Happy Birthday to you! この私のイラストのカードを送った。
彼がピアノマンだった時の人生がよかったかどうかは知らないが、そういう時もあったから、このイラストを選んだ。一体どんな誕生日だったんだろうか?

2009年11月25日水曜日

ハッピー・サンクスギビング!

ビンテージカードはさすがのアートです。
今日は半日で、明日からこちらはお休みです。アメリカでは宗教に関連した休日が多い中,これは国中が祝うので、正月と並び、重要な祭日。

ほぼ毎年,私達はサンクスギビングは息子の父親が来て、ターキーを焼いてくれ、私達は彼のバースデーケーキを買って祝うと云うのが習わしだが、今年は彼は来れない。
うちの元ダンナはホームレスを書き出したが,まだ、お話は今日まで来ていないので、お話を楽しみに待っていただきたい。
これは去年の彼のマスターピース・ターキー!
今年は彼のターキーが食べれないのは残念である。特に彼の作ったポテトはおいしい。毎年,彼の誕生日辺りが、サンクスギビングのウィークエンドになるので、私達は彼の誕生日を忘れない。何かとラッキーを持っている彼の人生でこれは1つの大きなラッキーだと思う。
今年は家族で過ごすサンクスギビング、そして彼の誕生日、何を考えて過ごすのだろう。

というわけで、私達はアメリカの家族のところに今年は行く。立田揚げを作って持っていく。
私達用にはBeard Papa'sのシュークリームをサンクスギビングの特別メニューとして6個買った。
私のように家族のいない人間は、家族と呼べるアメリカでの人間関係があることを感謝しなくてはならない。ターキーをこの週末に食べれることを感謝しなくてはならない。
そして、アイスホッケーのトーナメント。毎年,私達はトラベルトーナメントに出かけたが、今年は地元のリンクのトーナメントなので、ホテルに泊まらなくていい。私のバケーションがアイスホッケーのトーナメントとは、少し悲しいかな。

2009年11月19日木曜日

アイスホッケー・マムはカメラマン。

アイスホッケーを息子が始めたのは5歳でもう9年もやっていると、私達の生活の中でかなりのウエイトを占めている。
何年か前, うちのアイスホッケークラブは、等分して2チーム作り、同じリーグに登録した。等分出来なかったのはボランティアで写真を撮っている父親で、2人とも向こうのチームで、うちのチームにはカメラマンをしてくれる父親がいなかった。
シーズンの最後に、イヤーブック(自己紹介と一年間の写真集)をその頃は作っていたので、写真は重要なので私が撮りたいと申し出たのである。
向こうチームの写真を撮っているキースはニコンのカメラを2台持っていたので、勿論、安い方を、私に貸してくれた。これが私がキャノン派ではなくニコン派になった原因である。
結果的にはイヤーブックの製作も手伝うことにもなってしまった。
最初は動きが速いで、撮るのは思った以上に難しかったが、慣れてくるととても面白かった。
去年、ついにキースが持っていたのを同じのを買った。ニコンD80。使わなくては上達もしないので、トーナメントで撮ってみた。明るさやシャッタースピードやいろんなことがまだちゃんと理解していない、カラーバランスも、後でフォトショップで修正と云う段階のレベル。まだまだ、宝の持ち腐れである。
それでも、やや上達したか?今回はいい写真もあった。
チーム全員にそれぞれの写真を送った。頼まれてのいないのに余計なことなのかもしれないけれど、私だけが持っておくのもなんかもったいない気がして。感謝してくれる人は感謝してくれるさ、です。
自分が気に入ると人も気に入ってくれるんじゃないかと思って、次から次へと何かを作る。
私の作品と云うのは、そういう時点で始まっているような気がします。まずはこの3つを紹介します。時々、フォトショップで修正したりしますが、この3つは手を入れていません。
最初のはうちの子の後ろ姿ですが、彼にフォーカスされ静止しているのに対して、相手側の子たちがアウトフォーカスで動きがあるのが気に入っています。
2つめのはうちの子はいませんが、試合に勝った時、偶然、窓から陽がこぼれたのが、勝利をよりいっそう効果的に演出していい写真になりました。今シーズンのトラベルトーナメントは終わりました。これがハロウィンの前にニュー・イングランドであったトーナメントでチャンピオン,1位でした。最後の子がうちの子です。
次は再来週の地元のリンクでサンクスギビングトーナメントです。
そして、その後はクリスマストーナメント。ホリデーはアイスホッケー。

2009年11月17日火曜日

展覧会、無事、終了!

御陰様で無事,展覧会も終わりました。


私は日本でショーということだけで、興奮していまいました。
なんせ、16年ぶりなもんで。
私は自分のデザインの生地があるだけでいいかと、作品が足らない言い訳にしていたけれど、いざ作り出すと結構、楽しかったです。
でも、自分の生地しか使わないと決めた私のテーマは結構、厳しかったです。
次に必要な柄とか色とか、分かったし、私の生地で何かを作る人の気持ちもよくわかりました。どの柄でも可愛い組み合わせになるのも困りました。次から次へと作りたくなるという飽和状態に陥ったからです。時間切れやなんかで、結局、あの量になってしまったけれど、構想は一杯です。
今後に希望と期待です!どうもありがとうございました。

2009年11月15日日曜日

This is it!

2人の友達のブログを読むと、2人ともこの映画を見に行った感想を述べている。
アメリカにいながら、私はまだ見ていない、ではいけないなぁと思い、
”明日、This is it!を見に行こうよ。”
と息子を誘った。
オッケーということで、学校の帰りに映画を見て、映画館のとなりの日本のスーパーマーケットで晩ご飯を食べて、アイスホッケーの練習に行くというパーフェクトなスケジュールを立てた。

平日、時間帯、NJ、 ロードショーされてしばらく経つ、などの理由で10人入っていたかな?というがら空きで、観客は非常に行儀が良く、画面に向かって声をかける人も、マイケルと一緒に踊る人もいなかった。

彼の死から一週間は、毎日ラリー・キングショーをCNNで見ていた。殺人か?親権は誰に?マイケル,マイケル、の日々だった。
お葬式のコンサートを見てからは、Jarmaineの歌った”スマイル”にハマってしまって、iTuneにマイケルのスマイルを入れてレピートして、一日中、毎日、聞いていた。


この曲はチャーリーチャップリンのモダンタイムズで有名。
けれど、マイケルがこのチャーリー・チャップリンのファンであったこともこの曲を歌っていることも知らなかった。


そろそろ飽きる頃、私の好きなMadeleine Peyroux に切り替えた。
すると、彼女も”スマイル”を歌っているのである。もう、3年も聞いているアルバムなのに、Jarmaineのスマイルを聞いたときにMadeleineは浮かばなかった。


今度はまた、彼女のバージョンで”スマイル”を毎日,聞いた。

あれから、4ヵ月、マイケルに再会。
この映画の全曲を口ずさめるのは、私達が同世代で、一緒に育って来たからだと思う。ソウルトレインのマイケルを覚えているのだから。

マイケルは生きている間は全ての面で超越(beyond)していた。
死んで人間(Human being)になったと私は表現している。
この映画はまさに私達と同じ位置で見れるマイケルに会わしてくれる。舞台裏のマイケル。
”Natural" "Gifted"とは彼のためにある言葉だと思う。
それなのに、それにしても、悲しいで人生だったと思わずにはいられない。

ここ彼をで失ってしまったのは本当に悲しいけれど、70歳のマイケルには会いたくなかったという気もする。
おっと、そんなことをいうと66歳で後4年で70歳のミック・ジャガーに悪いかな。
70歳前であれだけステージで歌って踊ってと出来るというのも凄いなと思います。

14歳にもなると親と映画などに行っては、友達に恥ずかしいのだそうです。
ですから、うちの子は誰にも私とこの映画を見に行ったこと言っていないそうです。
仲のいいアイスホッケー・マムにアイスホッケーの練習中、
息子と映画を見に行っていたというと、
”そんなことはうちではあり得ない.娘も息子も私となんか映画にいくはずがない。”
と言ったんです。
今時のティーンエイジャーはそうなのだそうです。
それは悲しい。と思いませんか。

ということは、日本で2人でカラオケに行って、マイケルに敬意を表してと
I will be there を歌ったことなんか、ビッグシークレットなんだろうなぁ。
勿論、私はスマイルに挑戦したが、バージョンがNat King Cole、練習が必要!

2009年11月10日火曜日

これでショーの様子がわかるかな?

Taeko Doll
タエコ人形
Katsumi Punch-needle Work
かつみのパンチニードルワーク
Hoodie's Collection
フーディの生地で作ったいろんなもの
キルト、ぬいぐるみ、エプロ
、帯
ぬいぐるみのお問い合わせは気儘屋まで。
kimama_ya@hotmail.com
スカートエプロンの問い合わせはTail Treeさんに。
info@toyagree.com

よくばりエプロンは東京ドームキルトフェスティバルにお目見え予定。
詳しいことは後ほどです。

帯の問い合わせはWa-Uraraさんに。
harumi@matoyama.co.jp
この3点のみ。サンプルセール
お値段,6800円

展覧会の飾り付け完了!

タエコ,飾り付けご苦労さんでした。

携帯で撮った写真ですが、アメリカと大阪まで届きました。
これプレピクチャーズ。
ちゃんとした映像は後日、プロが撮ってくれるとのこと。
皆さん、楽しそうな展覧会です。
お出かけください。

AMULET NOV 9 - 15

2009年11月4日水曜日

復帰記念!

久しぶりに3人でグループ展をしようかなどとタエコと話し合ったのは,おそらく私の母が死んでタエコが大阪に来てくれた頃、1年半ほど前。

アメリカに行く年、1993年、
16年前に金沢のタエコたちの画廊,ギャラリー17で
Three piggies 展をやった。16年前のタエコと私のバトルパーティ私は既に日本を7月の初めに出ていたので,
その展覧会にも行っていない。ハワイにいたと思う。
事務所や家を引き払い,友達の事務所に居候して作品を仕上げた。
私がこの写真でペイントしているのと,
画廊に飾っている屏風の作品とは裏表で一対。

タエコたちはその後,東京に移り、かれこれ10年以上になる。
あのグループ展から、16年とは凄い年月が経ってしまったもんだ。

作家活動的なことは1994年にNYのユニオンスクエアの額縁屋、
Frameworks New Yorkでやってもらった"Blooming Woman" 展以来、
諸事情で断念していた。けれどタエコが私をグループ展に誘ってくれる限り,私の作家意識をくすぐり,作品を作ろうとするエネルギーを与えてもらえるのはとても有り難い。
しかも,彼女の人形30体以上の作品の中には、亡き母の服をリサイクルして作ったものも含まれている。私が夏に帰国した時に,その人形たちに会ったが、感慨深いものがある。
TAEKO DOLL

竹岡かつみ作品展
Merry Christmas to a Dear Girl

12月14日(月)から25日(金)クリスマスまで
12時から19時まで
土曜日,祝日,最終日は17時まで.日曜日はお休み
The 14th. MOON
〒540-0021 大阪市中央区大手通1−1−1
tel 06ー6943-5892

ちゃんと作家として活動しているタエコやカッちゃんには申し訳なく,私はいつも土壇場仕事である。
今回の展覧会も土壇場仕事となった。
日にちをかけていいものを作って,そこから選ぶという余裕のある人生を送ってみたい。来年こそはである。
今回,東京に送ったものは生地のオリジナルプリントに至るまでの過程(私のアメリカの人生)も含めて、それで作った作品には、1から10までHoodieという愛着がある。
HOODIE'S CUTIES

私の最愛の作家たちの作品と同じ空間に置かれる私の作品を今回もまた、この目で見えないのは残念でしかたがない。

これを機会に作品作りに復帰し、私の16年のアメリカの人生も別のブロクにて掲載します。
お題は、”うちのダンナはホームレス”

needleworks—布の仕事×3—

竹岡かつみ(刺繍クリエイター/大阪)
中野多恵子(人形作家/東京)
Hoodie(ファブリックデザイナー/NY)

3人が出会って、
あっという間に約四半世紀……
それぞれが、ずっと布と関わって
作品を作り続けています。
作品の方向性も、活動の仕方も、三人三様。
ひさびさに3人が作品を競い合う!
東京では初のバトルパーティです。

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2009年1月20日火曜日

今日という日。

1月20日、失望し、怒っていた長い悪夢の8年は終わり、そして始まった今日という日

息子が学校に行くとすぐにTVをニュースチャンネルにして11時半の大統領就任式を待った。
いつも通り、今日は今日の仕事をする予定でコンピューターに向かって、TVの音声だけを聞いていたが、10時半、どうしても落ち着いて仕事が出来ないので、仕事はあきらめ、TVの前に座った。
歴史的なこの日を、瞬間をその場で確かめようという人たちの群れは23度(マイナス5度)のワシントンDCに集まリ、その時を待っていた。

日本の友達と2日前に話した時、”この就任式をアメリカ人はなんていっているの?”と訊いたが、私の周りの人間関係で、”今日という日”のことを口にする人は一人も居なかった。
スーパーボールに向けてのフットボールのプレーオフを見なくては!という話しは出たが、オバマの就任式の話しは誰もしなかった。
息子は毎日、後何日でオバマが大統領にとカウントダウンしていたが、私は息子以外とは"今日という日”の話しはしなかった。

アイスホッケーのチームメイトの親がパスタパーティをした時、そこにいた親たちは全員、マッケイン支持者でペイレンをすばらしいと褒めていた。私は2,3歩退いた。私はとても彼らの話しには参加出来なかった。

オバマが選挙で勝った後、驚いたことに、息子が属するアイスホッケーのチームの(20人以上いる)ほとんどがマッケイン支持者で、オバマを嫌っているということがわかった。
息子がロッカールームで見つけたオバマと書いてあるステッカーを自分のヘルメットに貼ったら、アシスタントコーチが息子に強い口調で”ステーカーを取れ”と言い、それから彼は息子に対して好意的ではなくなったらしい。

仕事先でも、”どちらに投票したの?”と聞いてから、オバマの当選の話をしようと、担当者のアシスタントに聞いてみた。
”マッケイン”と即座に答え、オバマは好きになれないと強い口調で理由を述べた。

息子の学校のある先生はオバマを嫌い、マッケイン保持者だった。息子は何度もその先生と言い争いをしたと言っていた。
13歳の子供が政治のことを話すとなると90%はその子の話しは親の意見だと思っていいと私は思っている。だから、私は息子に、あまり政治のことは口にするなと言ったものの、うちの息子はちゃんと自分の意見としてオバマ支持者で、ブッシュを嫌っていることを主張しているようである。

だから、”今日という日”は学校に行かずに家で実況で見たいといっていたが、三日後から中間テストが始まるので、テストの範囲も分からない授業があるので、納得して学校に行った。
息子の学校では大統領オバマのスピーチが始まる前に全生徒を体育館に集めて、TVでスピーチを聴いたそうである。
彼の同級生の一人が、オバマは嫌いだ。暗殺したくらいだと言ったというのである。
こういった人たちのことは勿論、TVでは紹介しないが、存在するということも忘れてはならない。

私はブロードキャストの意見が偏らないようにと考慮してCNNとabcを交互に見ていたが、
最終的には討論会の時から見ているabcに合せた。
多く人々のインタビューを聞きながら、徐々に、私は感情的になっていった。
オバマが大統領に正式に任命される頃には、ぼろぼろ泣いていた。

みんな泣いているようだった。

涙となったそれぞれの思いはなんなんだろう。

黒人が白人の行く店や学校に入れなかったり、道を隔てて白人の生活と黒人の生活が別れていたのはそれほど昔のことではない。その頃のことを覚えているものも沢山いるだろう。親から聞かされて育った子供たちも多いだろう。
黒人も白人も,”今日という日”を想像出来なかったに違いない。
しかし”今日は存在するのである

今日で変わるのではなく、今日から変えて行く。オバマとともに私たちが変えて行くのだという”今日という日
多くの人々が支持出来る筆頭者を得たアメリカはやはりアメリカだった。
アメリカ人で良かったとつぶやいた人間がどれだけいただろうか。

オバマのスピーチは、一つ一つの言葉が重かった。それが19分もあったから、緊張を作り、驚き、私の涙は途中で止まってしまった。なぜなら、彼はアメリカの大統領という立場より、もっと高いところに立って世界に語りかけ、彼の中にある彼の構想はおそらく私が考えていたより遥かに深く大きいのだと知ったからだ。
初のアフリカンアメリカンプレジデントと繰り返し、繰り返し報道しているが、黒人が大統領になったということはたしかに歴史的ではあるが、オバマという人はもっと超越したところにいると思った。

歴史的な"今日という日”はまだ終わらない。

10っ箇所で行なわれているサラブレーションパーティの一つ一つに顔を出していたオバマに舞台裏でabcがインタービューした時、僕は僕で政府として改善に努力をするが、一人一人が全ては良い方向に変わって行くのだと信じ、努力することが大事だと彼は念を押した。

オバマは今日という日を境に明日を作らなければならない。
私はそれぞれの前向きな明日は"今日という日”を境にあると強く思う。

2009年1月4日日曜日