Google Website Translator Gadget

2009年11月4日水曜日

復帰記念!

久しぶりに3人でグループ展をしようかなどとタエコと話し合ったのは,おそらく私の母が死んでタエコが大阪に来てくれた頃、1年半ほど前。

アメリカに行く年、1993年、
16年前に金沢のタエコたちの画廊,ギャラリー17で
Three piggies 展をやった。16年前のタエコと私のバトルパーティ私は既に日本を7月の初めに出ていたので,
その展覧会にも行っていない。ハワイにいたと思う。
事務所や家を引き払い,友達の事務所に居候して作品を仕上げた。
私がこの写真でペイントしているのと,
画廊に飾っている屏風の作品とは裏表で一対。

タエコたちはその後,東京に移り、かれこれ10年以上になる。
あのグループ展から、16年とは凄い年月が経ってしまったもんだ。

作家活動的なことは1994年にNYのユニオンスクエアの額縁屋、
Frameworks New Yorkでやってもらった"Blooming Woman" 展以来、
諸事情で断念していた。けれどタエコが私をグループ展に誘ってくれる限り,私の作家意識をくすぐり,作品を作ろうとするエネルギーを与えてもらえるのはとても有り難い。
しかも,彼女の人形30体以上の作品の中には、亡き母の服をリサイクルして作ったものも含まれている。私が夏に帰国した時に,その人形たちに会ったが、感慨深いものがある。
TAEKO DOLL

竹岡かつみ作品展
Merry Christmas to a Dear Girl

12月14日(月)から25日(金)クリスマスまで
12時から19時まで
土曜日,祝日,最終日は17時まで.日曜日はお休み
The 14th. MOON
〒540-0021 大阪市中央区大手通1−1−1
tel 06ー6943-5892

ちゃんと作家として活動しているタエコやカッちゃんには申し訳なく,私はいつも土壇場仕事である。
今回の展覧会も土壇場仕事となった。
日にちをかけていいものを作って,そこから選ぶという余裕のある人生を送ってみたい。来年こそはである。
今回,東京に送ったものは生地のオリジナルプリントに至るまでの過程(私のアメリカの人生)も含めて、それで作った作品には、1から10までHoodieという愛着がある。
HOODIE'S CUTIES

私の最愛の作家たちの作品と同じ空間に置かれる私の作品を今回もまた、この目で見えないのは残念でしかたがない。

これを機会に作品作りに復帰し、私の16年のアメリカの人生も別のブロクにて掲載します。
お題は、”うちの元ダンナはホームレス”

needleworks—布の仕事×3—

竹岡かつみ(刺繍クリエイター/大阪)
中野多恵子(人形作家/東京)
Hoodie(ファブリックデザイナー/NY)

3人が出会って、
あっという間に約四半世紀……
それぞれが、ずっと布と関わって
作品を作り続けています。
作品の方向性も、活動の仕方も、三人三様。
ひさびさに3人が作品を競い合う!
東京では初のバトルパーティです。

AMULET / ギャラリーとカフェ〒101-0051
東京都千代田区神田神保町1-18-10 三光ビル1F
tel&fax 03-5283-7047

open 12:00am~20:00pm
メールは amulet@mbe.nifty.com へ

私達のショーについてのお問い合わせ
中野多恵子/nrk39381@nifty.comへ

2009年1月20日火曜日

今日という日。

1月20日、失望し、怒っていた長い悪夢の8年は終わり、そして始まった今日という日。

息子が学校に行くとすぐにTVをニュースチャンネルにして11時半の大統領就任式を待った。
いつも通り、今日は今日の仕事をする予定でコンピューターに向かって、TVの音声だけを聞いていたが、10時半、どうしても落ち着いて仕事が出来ないので、仕事はあきらめ、TVの前に座った。
歴史的なこの日を、瞬間をその場で確かめようという人たちの群れは23度(マイナス5度)のワシントンDCに集まリ、その時を待っていた。

日本の友達と2日前に話した時、”この就任式をアメリカ人はなんていっているの?”と訊いたが、私の周りの人間関係で、”今日という日”のことを口にする人は一人も居なかった。
スーパーボールに向けてのフットボールのプレーオフを見なくては!という話しは出たが、オバマの就任式の話しは誰もしなかった。
息子は毎日、後何日でオバマが大統領にとカウントダウンしていたが、私は息子以外とは"今日という日”の話しはしなかった。

アイスホッケーのチームメイトの親がパスタパーティをした時、そこにいた親たちは全員、マッケイン支持者でペイレンをすばらしいと褒めていた。私は2,3歩退いた。私はとても彼らの話しには参加出来なかった。

オバマが選挙で勝った後、驚いたことに、息子が属するアイスホッケーのチームの(20人以上いる)ほとんどがマッケイン支持者で、オバマを嫌っているということがわかった。
息子がロッカールームで見つけたオバマと書いてあるステッカーを自分のヘルメットに貼ったら、アシスタントコーチが息子に強い口調で”ステーカーを取れ”と言い、それから彼は息子に対して好意的ではなくなったらしい。

仕事先でも、”どちらに投票したの?”と聞いてから、オバマの当選の話をしようと、担当者のアシスタントに聞いてみた。
”マッケイン”と即座に答え、オバマは好きになれないと強い口調で理由を述べた。

息子の学校のある先生はオバマを嫌い、マッケイン保持者だった。息子は何度もその先生と言い争いをしたと言っていた。
13歳の子供が政治のことを話すとなると90%はその子の話しは親の意見だと思っていいと私は思っている。だから、私は息子に、あまり政治のことは口にするなと言ったものの、うちの息子はちゃんと自分の意見としてオバマ支持者で、ブッシュを嫌っていることを主張しているようである。

だから、”今日という日”は学校に行かずに家で実況で見たいといっていたが、三日後から中間テストが始まるので、テストの範囲も分からない授業があるので、納得して学校に行った。
息子の学校では大統領オバマのスピーチが始まる前に全生徒を体育館に集めて、TVでスピーチを聴いたそうである。
彼の同級生の一人が、オバマは嫌いだ。暗殺したくらいだと言ったというのである。
こういった人たちのことは勿論、TVでは紹介しないが、存在するということも忘れてはならない。

私はブロードキャストの意見が偏らないようにと考慮してCNNとabcを交互に見ていたが、
最終的には討論会の時から見ているabcに合せた。
多く人々のインタビューを聞きながら、徐々に、私は感情的になっていった。
オバマが大統領に正式に任命される頃には、ぼろぼろ泣いていた。

みんな泣いているようだった。

涙となったそれぞれの思いはなんなんだろう。

黒人が白人の行く店や学校に入れなかったり、道を隔てて白人の生活と黒人の生活が別れていたのはそれほど昔のことではない。その頃のことを覚えているものも沢山いるだろう。親から聞かされて育った子供たちも多いだろう。
黒人も白人も,”今日という日”を想像出来なかったに違いない。
しかし”今日は存在するのである”

今日で変わるのではなく、今日から変えて行く。オバマとともに私たちが変えて行くのだという”今日という日”
多くの人々が支持出来る筆頭者を得たアメリカはやはりアメリカだった。
アメリカ人で良かったとつぶやいた人間がどれだけいただろうか。

オバマのスピーチは、一つ一つの言葉が重かった。それが19分もあったから、緊張を作り、驚き、私の涙は途中で止まってしまった。なぜなら、彼はアメリカの大統領という立場より、もっと高いところに立って世界に語りかけ、彼の中にある彼の構想はおそらく私が考えていたより遥かに深く大きいのだと知ったからだ。
初のアフリカンアメリカンプレジデントと繰り返し、繰り返し報道しているが、黒人が大統領になったということはたしかに歴史的ではあるが、オバマという人はもっと超越したところにいると思った。

歴史的な"今日という日”はまだ終わらない。

10っ箇所で行なわれているサラブレーションパーティの一つ一つに顔を出していたオバマに舞台裏でabcがインタービューした時、僕は僕で政府として改善に努力をするが、一人一人が全ては良い方向に変わって行くのだと信じ、努力することが大事だと彼は念を押した。

オバマは今日という日を境に明日を作らなければならない。
私はそれぞれの前向きな明日は"今日という日”を境にあると強く思う。

2009年1月4日日曜日

2008年12月28日日曜日

今年も終わりに。

長い間、日本語のブログを書かなかった。
すっかり、英語で生活している証拠だ。

今年のカレンダーは祝日の後に週末が来るので、長い休暇を取っている人が多いようだが、私は正月開けに仕上げなくてはならない仕事が一杯あるので、休む事など考えていず、カレンダーもチェックしなかっだ。クリスマス前にようやく多くの人がクリスマスからお正月、4日まで仕事を休んでいるという事に気付いたのである。
息子の学校も五日からである。アメリカは元旦だけが休みなので、二日から学校、仕事が始まり正月を満喫出来ないが、今年は出来るというカレンダーなのに、今のところ正月の予定はない。

息子はクリスマスの晩から大晦日まで、大金持ちの友達のおじさんの別荘に出かけてしまった。悲しいかな。

ようやくガソリンやオイルが元の値に戻ったものの、値上がってしまった他のものは値が下がらない。インフレは庶民を苦しめている。
1920−30の世界恐慌以来といわれるこの不況の中でも、クリスマス、正月は来る。

何年アメリカに住んでも、正月が来るとなると、私なりの準備がいる。
年末に大掃除をしていると、”なぜ?”と聞いたアメリカ人は沢山いる。
”一年の埃を落とさないといい年が来ないから”
と答えると、
”じゃぁ、私にはいい年は来ないわね。このホリデーに掃除なんかしたくないし。”
と言う。
サンクスギビング、クリスマスは家族で過ごし、大晦日は友達とパーティというのがアメリカ人の通常の考え方。大晦日はどこで酔っぱらおうかと考えているのかもしれない。

Hoodie家のサンクスギビングは息子の父親の誕生日でもあったので、うちでターキーを焼いて過ごした。クリスマスイブも息子の父親がクリスマスディッシュを持参してうちに来て、プレゼントの交換、ゲームをして過ごした。
息子は父親の選んだプレゼントを有り難く受け取り、文句を言わなかった。
リクエストした高いプレゼントをメールで受け取るより、楽しく一緒に過ごした一日のほうが価値があると私は思う。
息子は13歳になるが、3人で過ごした家族のホリデーの中では、今年のこの二日間はいままでで一番楽しかったと私は思う。
息子の父親(前夫)の人生、私の人生、別々に生きて10年。楽しい日があると一杯ある嫌な思い出も自然と薄らぐ。悪くないなぁとスマイル。

Hoodie家のしきたりによって、クリスマスは起きてすぐパジャマを着たまま、プレゼントを開けなければいけない。うちのお犬様、チャウダーも一緒に。
そして、この二日間は”クリスマスストーリー”という映画を一日中,繰り返し、繰り返し見る。(ケーブルで毎年24時間、この映画を放映してくれる。)
この映画の中で、彼らのクリスマスターキーは野良犬に食べられてしまい、チャイニーズレストランに行って北京ダックを食べる。
今年は私たちも映画のように、チャイニーズレストラン "北京ダックハウス” に行って、北京ダックを頂いた!
この映画は実に面白い!何回見ても面白い!見たこのない人は絶対見てください!
A Christmas Story (1983)

息子の小さい頃は、わざわざ違う包装紙でプレゼントをラッピングして、クッキーとミルクをサンタ様のためにおいて寝たものだが、もうそんな工作をしなくていいのは楽である。しかも息子も欲しい物がもらえるし、私もがっかりした息子の顔を見ずにすむ。
子供の成長とともにサンタはファンタジーから合理主義になる。

このところ、私は大晦日をパーティで過ごせない、そんな気分ではないという年を3年ほど送っている。
いずれ、またパーティ気分になるのを期待したいところだ。

31日、大晦日にHoodie家はスキーから戻り、日本のスーパーに行って、正月料理を確保する。
年越しそばを食べる。

タイムズスクエアのカウントダウンを待って、シャンペン!
A Happy New Year, then hug and kisses!

これがHoodie家のしきたり。

私たちより14時間早く、年が明ける日本です。
皆様、良いお年をお迎えください。

2008年11月6日木曜日

町のアートオークションショー

話しは後先してしまったが、前々のエピソードー町のアートオークションショーの結末を書こう。
このアートショーは毎年、ヒューストンのキルトショーと同じ頃になる。
今年も私のフライトの一日前だった。
小学校の図書館に作品を並べ、大体は小学校に通う子供を持つ両親が来る。息子が卒業する年に始まったこのショーに参加することになったのは、この収益はアートクラスに寄付されると聞いて、私はその時の美術の先生が私に時々、授業を手伝ってくれと頼んだりする仲だったので、卒業する前に何か役に立つ事をしようと思った訳である。
卒業してからもお誘いがかかるので、毎年出すことになったのである。子供たちが卒業してしまったので、私たちの学年の親たちはあまり来ないが、まだ下の子が小学校という場合もあるので、ちらほらと知っている顔も伺える。
アーティスト同士という事で7年前に知り合ったリサは毎年出展するので、少なくとも話し相手はいる。息子と同じ学年の男の子のお母さん(ハイディ)が2年続けて私の作品を手に入れて、”あなたの絵は来るべき家に飾られているから安心してね。”と言ってくれたが、今年の私の作品にはあまり興味がなかったようだ。

このショーに来るものは20ドルの20枚にちぎれる券の半券を自分が欲しい絵の前に吊るしてある紙袋に入れる。その券には番号がついていて、自分の名前も書ける。
ショーの最後は一つ一つの作品を紹介しながらクジを引く。
図書館の前がカフェテリアで広いので、みんなはそこに集まって、自分の番号が読み上げられるのを待つ。
最初の年は、狭い図書館でくじ引きもしたので、子供は一杯いるし、やや混雑していたが、2年目からは要領を得たようだ。
働く親たちのために小学校にはアフターケアがあり、このカフェテリアがその場所で親が迎えにくる5時から6時頃は、子供たちはここで遊んでいる。
私も息子を預けていたので、小さい子供たちが番号を読み上げる間中騒いでいるのを見て、
”あぁ、こういう時もあったんやなぁ”と昔を思い出す。

私は参加作家なので5枚の券をタダで貰える。始めてのショーで5枚の券で欲しかった絵が手に入ったので、毎年、この5枚に賭ける。
私はポールの作品ー彼がギリシャに言った時のスケッチ画。
と私の絵を2年続けて手に入れているハイディのご近所のアーティストのエッチングー線書きのモディファイされた人物画。この二つに分けて入れた。

私は随分楽しみに私の番号が呼ばれるのを待ったが、私のラッキーはなかった。

観覧の時間のときに、”この作品が好き、当たるといいぁ”と話しかけてくれた人が何人かいた、その作品。”SERVING WITCH AND HELPER CAT - SOUP FOR YOU"
当たるといいなぁと話しかけてくれたおばあさんに当たった。

もう一つの作品。”UNTIL"
今年はあまり時間がなかったので、一点にしようと思っていたが、インタビューと言われて2点に増やした作品。TVに映って欲しかった作品である。インタビュアーが欲しいと言ってくれた作品である。
これは9.11の後に落書きしたスケッチをコンピューターに入れて処理した作品で、3人が重なって十字を描いている。
その頃、書いていた小説のプリントの裏に落書きしたので、偶然、”まで”という字が裏返しで人の身体の中に浮き出ている。それをそのまま残し、出来上がった作品の周りに、この小説に書かれている、春と夏の詩を”まで”と同じようにリバースしてレイアウトした。

この説明がインタビュアーの心を買ったのである。

ポールが券を引いて、数字を読み始めて、”おっと、これは私の友達に当たりました”とすぐに作品を降ろした。”UNTIL”はインタビュアーに当たった。

ショーの後、ポールはごまかしはしていないとかたくなに私に主張した。

さて、そのTVのインタビューはオンエアされたのか?
ポールも私も衛星放送で、ケーブルではないので、このケーブル局の番組は見れない。
2,3日経つと、もうどうでもいいような気がした。

インタビューから五日目、もうアートオークションショーも終わった後、
私はヒューストンのキルトショーでお客様のお相手をしていた。

息子のアイスホッケーのチームメイトのお父さん、ジミーから電話があった。
”フーディ、TVに出てるで、今12チャンネルを見ていると、レオニアの町のアートショーの事を言っていて、あぁ、フーディの住んでいる町やと思っていると、フーディがインタービューに出た。”
とのこと。偶然にしても見ている人がいる訳や。

私の絵を手に入れた彼女は私のインタービューをカット出来なかったんやなぁ。
しかし、一体、なんと私は紹介されたんだろう?気になるなぁ。

ポールにTVに私たち出たらしいよとメール。彼も知らなかった。

このオンエアのコピーは貰えるらしいので、まぁ、届くのを待つ事にするか!

2008年11月5日水曜日

光が射した歴史に残る一夜。

ついに選挙の日。私の町は1週間前に、選挙日11月4日は休校と決めた。
息子はこの休みは釣りに行くと決めて、朝早く出かけるというので、私たちはロングアイランドにいた。
私のボーイフレンドは釣りの前にちゃんと投票に行った。
私は釣りにいかず、仕事を彼のところですることにした。
コンピューターをつけると、自動的にCNNのニュースのページが開く。

初のアフリカン、アメリカン大統領か?
初のオールディスト大統領か?
初の女性副大統領か?

待ちに待った日が来た。

投票結果は自分の家で見たいからと(彼の家にはTVはあるが、ケーブルに接続されてないので見れない) 私たちは急いで帰り、早速テレビをつけた。

ブッシュの時は最後の州に勝敗を預けたから、真夜中まで結論が出なかった。今回もそうなるかもしれないので、息子に明日になるかもよ,などと言っていたが、喜びの声はラッキーにも早く聞くことが出来た。開票中から道を挟んだ真向かいの家からは”オバマ”コールが聞こえ、初のアフリカン、アメリカン大統領のアナウンスを待っていた。
うちの息子と同じ学年の黒人の女の子の家族である。
彼らの家の前庭に”オバマ、バイデンを支持する”という看板が立ててあり、息子はうちにもあの看板が欲しいと言っていたが掲げずに、今日という日が来た。

オバマが当選を決めた。前の家のフィーバーはさらに甲高となった。
”あんたも参加してくればいいのに、知り合いなんやろ?”
と息子に言ったが、
”僕は変な奴と思われてるから”と行かなかったが、
私は参加したい気持ちだった。

アメリカに光が見えた。

私はもしオバマが負けたら、日本に帰るとかカナダに移住するとか言っていたが、これでアメリカに残る理由があるのだ。
62,450,831(彼に投票した数)のアメリカ人がオバマの当選演説を涙して聞いた。
彼が呼びかける言葉に
”Yes, we can!"
とエコーした。
黒人も白人も東洋人もヒスパニックもアメリカの将来を彼に託して、涙を流しながら、
”Yes, we can!"
と叫んだ。
アメリカがアメリカに戻った気がした。
インフレーションでみんながネガティブに移行している時だっただけに、
”Yes, we can!"
この言葉は重みのある言葉に聞こえた。

Congratulations!


オバマにはミリオンのガードマンがいるねぇ。ケネディの時のようにならなければいいけれど、、、、
と言ってしまって、自分の言葉にドキッとしたが、
オバマには最後まで彼の強い意志を貫いて欲しい。
彼にはカリスマがある。時に選ばれた人と言う何かがある。
少なくとも、自分が選んだアメリカという国を代表する人を支持したいと私は思う。
それが出来なかった8年間もそろそろ終わるのである。
長い長い悪夢のブッシュ政権の終わりを、この光で私は笑みを浮かべることが出来た。

アメリカに”未来”はまだある。
そう思わしてくれた、最高の感動の一夜である。