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2008年11月6日木曜日

町のアートオークションショー

話しは後先してしまったが、前々のエピソードー町のアートオークションショーの結末を書こう。
このアートショーは毎年、ヒューストンのキルトショーと同じ頃になる。
今年も私のフライトの一日前だった。
小学校の図書館に作品を並べ、大体は小学校に通う子供を持つ両親が来る。息子が卒業する年に始まったこのショーに参加することになったのは、この収益はアートクラスに寄付されると聞いて、私はその時の美術の先生が私に時々、授業を手伝ってくれと頼んだりする仲だったので、卒業する前に何か役に立つ事をしようと思った訳である。
卒業してからもお誘いがかかるので、毎年出すことになったのである。子供たちが卒業してしまったので、私たちの学年の親たちはあまり来ないが、まだ下の子が小学校という場合もあるので、ちらほらと知っている顔も伺える。
アーティスト同士という事で7年前に知り合ったリサは毎年出展するので、少なくとも話し相手はいる。息子と同じ学年の男の子のお母さん(ハイディ)が2年続けて私の作品を手に入れて、”あなたの絵は来るべき家に飾られているから安心してね。”と言ってくれたが、今年の私の作品にはあまり興味がなかったようだ。

このショーに来るものは20ドルの20枚にちぎれる券の半券を自分が欲しい絵の前に吊るしてある紙袋に入れる。その券には番号がついていて、自分の名前も書ける。
ショーの最後は一つ一つの作品を紹介しながらクジを引く。
図書館の前がカフェテリアで広いので、みんなはそこに集まって、自分の番号が読み上げられるのを待つ。
最初の年は、狭い図書館でくじ引きもしたので、子供は一杯いるし、やや混雑していたが、2年目からは要領を得たようだ。
働く親たちのために小学校にはアフターケアがあり、このカフェテリアがその場所で親が迎えにくる5時から6時頃は、子供たちはここで遊んでいる。
私も息子を預けていたので、小さい子供たちが番号を読み上げる間中騒いでいるのを見て、
”あぁ、こういう時もあったんやなぁ”と昔を思い出す。

私は参加作家なので5枚の券をタダで貰える。始めてのショーで5枚の券で欲しかった絵が手に入ったので、毎年、この5枚に賭ける。
私はポールの作品ー彼がギリシャに言った時のスケッチ画。
と私の絵を2年続けて手に入れているハイディのご近所のアーティストのエッチングー線書きのモディファイされた人物画。この二つに分けて入れた。

私は随分楽しみに私の番号が呼ばれるのを待ったが、私のラッキーはなかった。

観覧の時間のときに、”この作品が好き、当たるといいぁ”と話しかけてくれた人が何人かいた、その作品。”SERVING WITCH AND HELPER CAT - SOUP FOR YOU"
当たるといいなぁと話しかけてくれたおばあさんに当たった。

もう一つの作品。”UNTIL"
今年はあまり時間がなかったので、一点にしようと思っていたが、インタビューと言われて2点に増やした作品。TVに映って欲しかった作品である。インタビュアーが欲しいと言ってくれた作品である。
これは9.11の後に落書きしたスケッチをコンピューターに入れて処理した作品で、3人が重なって十字を描いている。
その頃、書いていた小説のプリントの裏に落書きしたので、偶然、”まで”という字が裏返しで人の身体の中に浮き出ている。それをそのまま残し、出来上がった作品の周りに、この小説に書かれている、春と夏の詩を”まで”と同じようにリバースしてレイアウトした。

この説明がインタビュアーの心を買ったのである。

ポールが券を引いて、数字を読み始めて、”おっと、これは私の友達に当たりました”とすぐに作品を降ろした。”UNTIL”はインタビュアーに当たった。

ショーの後、ポールはごまかしはしていないとかたくなに私に主張した。

さて、そのTVのインタビューはオンエアされたのか?
ポールも私も衛星放送で、ケーブルではないので、このケーブル局の番組は見れない。
2,3日経つと、もうどうでもいいような気がした。

インタビューから五日目、もうアートオークションショーも終わった後、
私はヒューストンのキルトショーでお客様のお相手をしていた。

息子のアイスホッケーのチームメイトのお父さん、ジミーから電話があった。
”フーディ、TVに出てるで、今12チャンネルを見ていると、レオニアの町のアートショーの事を言っていて、あぁ、フーディの住んでいる町やと思っていると、フーディがインタービューに出た。”
とのこと。偶然にしても見ている人がいる訳や。

私の絵を手に入れた彼女は私のインタービューをカット出来なかったんやなぁ。
しかし、一体、なんと私は紹介されたんだろう?気になるなぁ。

ポールにTVに私たち出たらしいよとメール。彼も知らなかった。

このオンエアのコピーは貰えるらしいので、まぁ、届くのを待つ事にするか!

2008年11月5日水曜日

光が射した歴史に残る一夜。

ついに選挙の日。私の町は1週間前に、選挙日11月4日は休校と決めた。
息子はこの休みは釣りに行くと決めて、朝早く出かけるというので、私たちはロングアイランドにいた。
私のボーイフレンドは釣りの前にちゃんと投票に行った。
私は釣りにいかず、仕事を彼のところですることにした。
コンピューターをつけると、自動的にCNNのニュースのページが開く。

初のアフリカン、アメリカン大統領か?
初のオールディスト大統領か?
初の女性副大統領か?

待ちに待った日が来た。

投票結果は自分の家で見たいからと(彼の家にはTVはあるが、ケーブルに接続されてないので見れない) 私たちは急いで帰り、早速テレビをつけた。

ブッシュの時は最後の州に勝敗を預けたから、真夜中まで結論が出なかった。今回もそうなるかもしれないので、息子に明日になるかもよ,などと言っていたが、喜びの声はラッキーにも早く聞くことが出来た。開票中から道を挟んだ真向かいの家からは”オバマ”コールが聞こえ、初のアフリカン、アメリカン大統領のアナウンスを待っていた。
うちの息子と同じ学年の黒人の女の子の家族である。
彼らの家の前庭に”オバマ、バイデンを支持する”という看板が立ててあり、息子はうちにもあの看板が欲しいと言っていたが掲げずに、今日という日が来た。

オバマが当選を決めた。前の家のフィーバーはさらに甲高となった。
”あんたも参加してくればいいのに、知り合いなんやろ?”
と息子に言ったが、
”僕は変な奴と思われてるから”と行かなかったが、
私は参加したい気持ちだった。

アメリカに光が見えた。

私はもしオバマが負けたら、日本に帰るとかカナダに移住するとか言っていたが、これでアメリカに残る理由があるのだ。
62,450,831(彼に投票した数)のアメリカ人がオバマの当選演説を涙して聞いた。
彼が呼びかける言葉に
”Yes, we can!"
とエコーした。
黒人も白人も東洋人もヒスパニックもアメリカの将来を彼に託して、涙を流しながら、
”Yes, we can!"
と叫んだ。
アメリカがアメリカに戻った気がした。
インフレーションでみんながネガティブに移行している時だっただけに、
”Yes, we can!"
この言葉は重みのある言葉に聞こえた。

Congratulations!


オバマにはミリオンのガードマンがいるねぇ。ケネディの時のようにならなければいいけれど、、、、
と言ってしまって、自分の言葉にドキッとしたが、
オバマには最後まで彼の強い意志を貫いて欲しい。
彼にはカリスマがある。時に選ばれた人と言う何かがある。
少なくとも、自分が選んだアメリカという国を代表する人を支持したいと私は思う。
それが出来なかった8年間もそろそろ終わるのである。
長い長い悪夢のブッシュ政権の終わりを、この光で私は笑みを浮かべることが出来た。

アメリカに”未来”はまだある。
そう思わしてくれた、最高の感動の一夜である。