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2011年3月17日木曜日

どうかご無事で。

私の息子の同級生だったことから友達になった家族が2003年の冬に日本に帰った。ご主人の里が仙台だったので、九州人の彼女は仙台に住むことになった。
10年ぶりに私が日本に帰国したのは同じ年の夏。両親の里、信濃大町に父の実家がある。父の兄が土地を継いでいる。そこに父を埋葬したので、基本的には私の家族は信州に戻ったことになる。3年前に亡くなった母も今は里に戻った。私もここに生まれ3年住んで大阪に移った。だから、私の出身地は長野、信濃大町です。
あの頃はまだ叔父も惚けずにしっかりしていた。
信州の後、仙台に帰った友達の家族に逢って、東京で帰国と予定していたが、信州を出る前の日に、”仙台に地震”と速報が入った。
彼女が、来てくれるのは凄く嬉しいけれど、言っておかなければならないことがある。仙台に地震が来るといわれていると言う。
”私達が行くたった二日に地震になるはずは無いわよ。”と笑ってはね除けたが、なんと、本当に地震の速報が!
大雨続きで地面が緩んでいるところにあった地震だったので、被害は大きいようであった。
勿論、私達は仙台に行かなかった。信州に長くいることになった。
これはもう惚けてしまった叔父のことを考えると、いい滞在だったと思う。
私の息子は叔父と言葉も通じないのに2人で釣り堀に行ったし、私も叔父と楽しい時間を過ごした。
叔父はその次の年に心臓発作で、一反心臓が止まったが、また動いて、驚く程今は元気にしているが、すっかり惚けて、自分の息子を私の死んだ父だと思っている。
私のことなんか覚えている訳がないと言い切る従兄弟だったが、叔父は私のことはその後も覚えてた。けれど、増々惚けているので、次回は無理かもしれない。

私の人生は相変わらず大変で、いや、より一層、大変だった。
母の癌を2006年に知って2007年に彼女を亡くし、仕事も独立したから、延々と人生にチャレンジで、彼女たちに連絡を取らないまま、時が経ってしまった。私の持っている彼女のメールアドレスは余り使わないアドレス帳に入ったままでアドレス自体がキャンセルされてしまい、プライベートのメインのアドレスを操作ミスで過去の記録を全て無くしてしまったことが3年前ほど前にあり、彼女の連絡先が全く見つからないのである。

あれから、8年。仙台に歴史に残る大津波が先週、3月11日に。

ご家族、お友達は大丈夫ですかというメールやメッセージを受ける度に、もう親はいません。兄弟もいませんとも言えず、親友たちを家族と思い、全員無事です。ありがとうと答えている。
私の家族と呼べる人たちは東京、石川、大阪、長野にいる。それらは今回は中心を逃れているので、被害はあまりない。しかも、今の時代、好きなだけスカイプでチャット出来るから、チャット中に余震があったとすぐに知れる状態だ。コンピューターは世界を小さくしてくれた。
関西大震災の時は母が生きていたし、現地だったし、私は妊娠7ヶ月だった。
電話は全く通じなく安否を確認するまで、私の方が生きた気がしなかった。テレビに映る景色が私の記憶にもあるから、余計に心配がつのった。皆の無事が分かるまでに、2、3日かかった。

その後、日本に10年帰れなかったから、地震の惨事を全く知らない。

私は仙台にいるはずのこの家族の安否が気になって仕方がない。
日が経つにつれて、増々気になる。
彼女は帰国の少し前におとうさんを亡くしている。だから、九州に戻ったとは思えない。
17歳 、15歳、7歳の子供がいる。
ここに名前を書けば、誰かが彼女たちの無事を教えてくれるだろうか?

”なぁに言っているのよ。大丈夫よ。頑張らなくちゃ!”と、彼女のいつもの明るいめげない声が聞こえるような気がする。

毎日、渡辺家の全員の無事を祈ることしか私には出来ない。
多くの困難にあっている方々をお祈り申し上げます。

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