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2011年6月27日月曜日

インセプション ー 夢から夢に。

日本に帰る前で忙しいというのに、息子が夜中の12時からインセプション見ているのに参加してしまって最後まで見た。
私は息子がインセプションを見ているとは知らなかったから、始まって10分してから参加した。
映画が終わってから、ストーリーを如何に把握しているか?息子に尋ねると、お母さんは最初の大事な10分を見ていないから、ストーリーをちゃんと把握してないと嫌みな言い方をしてくれるので、何が何でも最初の10分を見なければと、次の日の放映を待った。
仕事をしていたせいで、また最初の5分を見逃した。また次の放映を待って最初の5分を見なければならなかった。
5分のためにもう一度みて、また息子とどこまで理解してるかと言う話しをしたが、異なることも多いので、もう一度、一緒に見ることになった。
渡辺謙が話しの大事なところを担っているのに、その英語が時々聞き取りにくくて、分からないと言うと、息子も確かに分かりにくいという。
発音のせいでこの国でステップダウンした立場でアメリカ人社会で苦労している私が、渡辺謙の英語が聞き取りにくいなどと言ってはいけないのだが、こう言った難しいストーリーだけに1つの部分を理解してないと、全体が理解出来なくなるので、英語字幕をつけて映画を見ることにした。これはいろんな面で私には役に立った。
私が聞いたこともない言葉が一杯出てくるから息子に”トーテムって何?”と聞くと、
“ええーーー、さっきからずーっとそのことを話しているじゃないか?訳も分からず見ていたのか?”
などという失礼な言い方をしてくれる。全く、腹の立つ言い方をする奴である。
結局、私の聞いたことを説明してくれなかったんで、私は単語を聴いてグーグルでサーチして、理解した。ここまでしてようやく、95%まで理解したと言っていい。まったく、骨の折れる映画となったが、久々に映画にのめり込んだと言っていい。

一度目は息子と2人で最後まで見終えたが、2度目は5分を見終えると、映画と一緒に寝てしまったのである。息子も私と同じことを同じことを言った。見ていると夢に引きずられてねてしまうのだそうだ。

夢が現実なのか。現実が夢なのかということを自分の中で討論したことが何度もある。
夢と現実の区別はその時を共有したと誰かの証言があれば現実で、なければ夢だったのある。
でもこの映画のように人の夢の中に一緒に入り込むとなると夢は夢でなくなると思う。
だが、作り上げた世界で起こることは事実ではないがその意識は現実に影響しているのだから、感情的には作り上げた世界ではない。現実なのである。

夢の中に出てくる人々、景色、建物だが、どうやら私が全て作り上げているらしい。
Projection!
少しの可能性でも、出ている人が自ら他人の夢に特別出演しているということはあり得ないのあろうか?
機械で繋げていない限り、それはあり得ないのかもしれない。
私が作り出したにしては、私にはデジャブが多すぎると思うこともある。

デジャブ(deja vu=既視体験)
本当に体験したのか、夢で見たのか、自分でもよくわからない不思議な感覚。

人生で起こる多くのことは全て潜在意識が関連左右していると私は思っている。
偶然という必然。
リインカーネーション(Reincarnation
前世の潜在意識が現世の状況に左右しているという考え方も、私にとっては理にかなっている。

人生を変える夢のお告げは2度ある。それはその現実がくるまで繰り返し、繰り返し、見た夢だった。大体は3年間。

人生が切れそうになると、私は眠れなくなる。だから夢を見なくなる。
これでは困るのである。
だから自分をコントール出来なくなったとき、私はサブリミナルに頼る。起きている時に寝ている状態する。これが私の精神状態をかろうじてノーマルに保つ手段である。

心の奥の1つの鍵を開けたら、全てが変わる。
私が寝ている間に、誰かがその鍵を開けてくれたら、どんなにいいだろう。

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