キルト業界のイベントがあった。
3,4年前に友達になったミッシェルが誘ってくれるところには顔を出すことにしている。それがかれこれ3、4年も経つといろんなことが起こる。
ミッシェルはシンプリシティのイベントのディレクター。けれど、彼女はアーティストでもある。けれどシンプリシティ、1920年創業の大手で働く限り、その恩恵は無視出来ない。彼女と友達になって、キルト業界で生地を売って14年にもなるというのに、キルトのことを理解していなかった私がこの3、4年でようやく、片足を突っ込んだ気になってきた。
この3、4年で知り合った人たちは私がマイケルミラーが出来る前から、キルトショーに一員として行っていることや、14年もキャシーミラーのデザインをしていたなんて誰も知らない。
あの時の仕事がまだマイケルミラーで売っているなんて誰も知らない。
デザインというのはそれを創っていた時の思い出があるから、作品を見ると、その時の自分の記憶も戻ってくる。特に私が一生懸命創った作品だけに思い入れがある。
そのデザインを置いて来た子供のように遠くから、眺めている親であることを誰も知らない。
自分で作った小さな人間関係の世界で、ライセンスとして生地を業界に出して、3年。
無名の私が、Hoodieとなったのは、たった3年。そして4年目の今年。
私がキルトを作ったこともなかったのに、2作目のキルトが、シンプリシティのキルトのコンペで一位を取ったりしたから話しが余計、こんがらがってきた。キルトも作るデザイナー!
その上、シンプリシティでパターンも出しているから、シンプリシティの契約アーティストとなる。
キルト業界に身体の半分くらいまで浸かった感じで存在しているHoodieということになってきた。
どうやら、私は彼女を通して普通では友達になれない人達と友達のようになっているようなのである。
才能と名声を持った人たちの中に友達としてと時間をいただいていると気付いたのはこの3日前のことである。
イベントにただ来た人ならば、そこそこでおいとまする。私は主催者のグループの友達だから彼らが片付けが終わるまで一緒に居る。それだけでどうやら、私は立場はただイベントに参加した人とは違う立場となる。
しかし、後で知り合った人たちを検索すると、みな成功者なのだ。業界のピンなのである。
3年前に業界の有名人、マークレピンスキーと知り合いになれればいいなと思った。
今はその有名人が、”フーディ、ダーディに向かってスマイル”と私の写真を撮りにきた。
自分の写真を滅多に載せない私のファイスブックに彼はその私の写真をポストした。
こんなこともあるんだ。
業界の有名な会社の社長たちが帰る時に、”グッバイ、フーディ”と私の名前を言った。
私の知り合った有名人たちは確実に余裕のある生活を送っている人ばかりである。
夫があって子供が居て、才能があって、裕福である。しかも美貌まで持っている人も居る。
彼らの作品を見るとその才能にくらくらしてしまう程だ。
キルト業界のアーティストは女性上位で、しかも、夫のサポートを影で頂いている人たちが多い。成功は幸福のバックグラウンドに存在しているように思える。
いろんな意味で、キルト業界は贅沢な業界だと私は思う。余裕がなければ出来ないところが、贅沢だと思う。
私は完全にマイケルミラーのフーディではなくなったことを実感する。
14年もキャシーと居て、何一つ見れなかった世界を、自分の目で見ている。
あの時のデザインスタイルを使わず、新たな自分のすタイルをブランクキルティングで創って3年。今年からはタイムレストレジャー。今からは新しい自分を作っていきたい。
沢山、新しい子供を作っていこうと思う。
キルト業界に身体の半分以上まで浸かっているなら、もっとミシンも踏もう!と決めたのであった!
そこに居るというだけで、自分が存在することもあるもんだ。
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