Google Website Translator Gadget

2011年7月25日月曜日

アゲン。偶然という必然。

16日間の日本。

今回は色々と確認したいことがあって帰ったのだが、その確認も感慨深いものとなった。
大阪を8日間にして、信州を4日間、東京は短く2日間とした。

奇遇、その1
大阪に着いてすぐの二日間は親友たちと過ごした。父の命日を久しぶりで日本で過ごした。
親友の一人が帰国一日目に悲報を持ってきた。
彼女の友達が私の30年前のボスのところで働いていて、そのボスが亡くなったと私の親友にメールしてきたらしい。彼女の友達は私の存在すら知らず、なぜその悲報を私の友達に私の帰国に日に送ったのか?この偶然に私の友達も驚いていた。
彼はボスというよりは私の友達だった。私の大変仲が良かった先輩の友達で、縁があって彼の事務所で2年程働いた。その後、私は独立して現在に至る訳である。
私がアメリカに移住する時も偶然、本町で出会ってお茶を飲んだ。その時、彼は私達の共通の友達、私の先輩が亡くなっていたということを教えてくれた。彼女のご主人は彼にも彼女の悲報を連絡しなかったそうだ。
私は私の父が亡くなる数週間前に入院していた彼女を見舞ったきり、連絡が途切れていた。彼女は退院したら離婚してやり直すと言っていた。私に37,8歳頃、子供を産めと勧めた。
そして、偶然にも私はその歳に息子を産んだ。あれは彼女の遺言だったことになる。
今回はそれを伝えてくれた友達が死んでしまった。心筋梗塞。突然の死であったようである。
私のショックはかなりのものだった。
彼はどうやら私には旅立ったことを知っておいて欲しかったのだろう。
今、ライセンス契約しているタイムレストレジャーの社長と彼は知り合いで、私はこの会社の仕事を彼の事務所に居た時にしていたから、かれこれ30年以上の付き合いとなる。
奇遇、その2
銀行に行く予定だった日、親友が泊まっていて私達は夜更かしし、朝のスタートが遅かった。その上、息子がコンタクトの洗浄剤がないから目が痛むと苦情。自転車でスーパーに走った。暗証番号の鍵が開かない。覚えていないのである。どうか盗まれませんようにと祈って、薬局に走った。5分で戻ってきて自転車に乗るとタイアがパンク状態。
自転車を押しながら、考えた。
どう考えても3時には間に合わない。今日の銀行は諦めよう。明日の朝に行こうと決断して焦って、イライラするのを辞めた。
自転車屋にもって行くとはパンクでなく虫を盗まれたとわかった。
こういうことは多々あるらしい。しかし、駐車場にちゃんと止めた自転車なのに、一体誰が5分の間に虫を盗むのだろう?
修理は虫代の300円。
次の朝に銀行に行くと昨日はアメリカが独立記念日で休みだったので、受付出来ませんでいた。ラッキーですねと言われた。ふむ!
いつもは独立記念日に花火を見るが、今年は日本だったので、すっかり忘れていた。
奇遇、その3
今回のニュースポットは梅田、伊勢丹デパートと聞いていたので、梅田で友達と会うついでに市場調査。すると、エスカレーターで長年知り合いの事務所のオーナーとすれ違う。
彼らに私が親友から貰った悲報のことを話すと、少しだけ彼らの知っている彼のことを教えてくれた。業界は20年前の不況により、今や限られた者たちだけ生き残っている。そして、私は限られて生き残った人たちと知り合いなのである。亡くなった友達も生き残ったと言われるデザイン事務所であった。3年前に私のデザインの前に飾られたデザインが日本のデザイン事務所のものというので、名前は?って聞くと、彼の事務所のデザインだった。不思議な気がしたものだ。今回は本町に来られますか?と聞かれるので、実は明日、行こうと思っているんです。
どうぞ、お寄りくださいと誘われて、彼らの事務所に2件の仕事関係を訪ねた後、お邪魔することになった。かれこれ、20年ぶりのことである。そこでまた長いこと会わなかったヴォーグ出版社の人と8年ぶりの鉢合わせ。彼らは東京から来ているので確かに奇遇。
奇遇、その4
梅田の丸善のジュンク堂に行く時に通り道のひとつで、NU茶屋町というファッションビルを探検。そこの本屋で見つけた地ビール。箕面ビール。本屋でビール?
箕面で育った私が、地ビール好きの私がこの偶然に驚かないわけはない。
18年前に日本を出た私は14年も存在しているという箕面ビールを全く知らなかった。
日本の地ビールブームがあったことも、それが定着したことも知らなかった。
早速、次の日に牧落の工場に出かけて6種類のビールを買った。日本の地ビールは高かったが、帰る前に全部、味見しないと後悔が残る!奇遇、その5
30年間前に友達に紹介された出版社の編集長とイラストの仕事をして15年、アメリカに移ってからも付き合いは続いている。日本に戻ると必ず会う友達の一人。4年前に見つけた釣船茶屋、ざうおに行ったのは彼となので、それ以来、彼と食事をするとなると息子はそこに行くと思っている。釣った魚をすぐに料理して、食べるお店。
予約していないので、釣り堀の横の部屋はないと言われたが、8人用座敷を使っていいと一番いい部屋を貰った。余りに広いので、最初は恐縮したが、ナカナカいい部屋だった。
”もう一度、一緒に仕事!”が口癖で会う度に、企画を立てる私達である。息子が魚を釣っている間に商談というところだ。私にはいい企画があったので、意気揚々と企画を発言!さて、どうなるかぁ。
私は彼に”本屋で見つけたビール”の話やこの本屋のテイストが好きという意見を述べた。すると、彼は、”その本屋、知っている。僕の友達がそこで出版のサイン会をした。”と言った。
そのお友達は黒田征太郎のお友達でもあるそうだ。
彼がNOVAの編集長をしていたとき、私はコーディネーターでニューヨーク特集に参加している。あの時にインタビューした人たちの70%は私の友達である。友達の懇意の黒田征太郎さんはその時、ニューヨークにいらしたので彼のイラストを使っている。
私達の名前と黒田サンの名前は雑誌の裏に記名されている。
それ以来、私の行くところの食べ物屋に黒田サンのサインがあることが3回以上!
でも、残念なことに私は本人を全く知らない。笑。
友達は時間があれば本店に行ってくればいいと勧めてくれた。
社長の名前や道の名前までしっかり教えてくれた。
奇遇、その6
勝尾寺は帰国した時は必ず親友と行く私達のお寺。己に勝つという教えのお寺!
そもそもは母の死後、飽和状態だった母の家の片付けを親友として、ゴミの収集に凄くお金がかかるので、自分たちでゴミの収集場所まで持って行った。値段は5分の1程、安いのである。それが勝尾寺の近くにあり、その度に参拝に行ったことか始まる。聞いての通り、私の2人の親友は天使である!
今回は行かないのかい?と親友に言われて、ゴミは出さないが参拝だけに出かけることにした。きっと神様もその方が有り難いだろう!
その後、お茶にすることにした。
はっきり道を覚えていない親友がここらで曲がろうと意図もなく曲がった。
すると、私達のお気に入りの珈琲蔵人 箕面店に出た。
この珈琲屋は母が危篤で息子をアメリカに残してきた時に見つけた店で、そこに置いているひとつのコーヒーの名前が息子の名前だった。“全人” うちの子はゼントと読む。
あの時は感慨深く息子の名前のコーヒーを飲んだ。忘れられない。
今回はここで食べたコーヒーゼリーは格別、美味しゅうございました。
奇遇、その7
大阪に転勤になっている仕事関係、息子の小さいときから知っているということもあって、ご一緒にお昼をさせていただいた。そのついでに箕面ビールを置いていた本屋の本店に寄ってみることにした。スタンダードブックストア、名前も面白い。
お店を探検して、一休みでアイスコーヒーを飲むことにしたら、トークショーがカフェで始まった。計画してもなかなかタイミングよくイベントに出会わないものである。
居心地よく、トークショーの最後まで居てしまった。私の隣りに座っている人がこのお店のオーナーだと分かったのは、彼がトークショーの最後に名前を言って何冊かの本を紹介したからである。私の出版関係の友達がオーナーの名前を言ってくれてなかったら、気がつかなかったかもしれない。
奇遇をチャンスに声をかけさせてもらった。(この話は英語でHoodie's Landに。)
こんなことも、前もって計画していてもナカナカあるもんじゃないと思う。
奇遇、その8
信州の従兄弟に電話すると、おまえたちが来ると言うから13日に休みを取ったと言う。その日に出るつもりだったので、いつもの私だったら、着くのは昼過ぎか夕方。それでは彼の休みを無駄にしてしまうのである。
列車の乗り継ぎをインターネットで検索。6時の新幹線に乗ると10時に着くというのを見つけた。乗り継ぎが全て5分以内。これは滅多にない。
最後の日も一緒にいてくれる親友たちにこのことを言うと、その夜は泊まって新大阪まで送ってくれるという。朝早い方が道も混まないし、一日を無駄なく過ごせると言う。
感謝!その前の晩にクロネコで大きなスーツケースを空港留めで送り、近所のディスカウントショップで格安チケットを買うつもりだったが閉まっていた。済まぬが新大阪まで行ってくれと頼む私に、新大阪は遠いと友達は答えた。けれど、早朝に弱い私はどうしても切符を買っておきたかった。ついに友達は同意してくれ、新大阪まで行ってくれた。感謝!なんと土産屋は朝6時半にしか開かず、その晩もまさに閉めようとしていた。ぎりぎりで土産の饅頭を獲得。5分の乗り継ぎで土産を買えるはずがなかったから、新大阪まで来てくれた友達に再び
これで去年亡くなった叔母のところにも土産を持って行けるのであった。
寝たら起きれないと起きていようとした友達たちも3時前にはふらふらになっていたので、消灯にした。少なくとも2時間は寝たか?!
万が一、起きれなかったら指定席でないので、6時の新幹線を諦めればいいのである。しかし、皆、起きたのである。凄い!
グーグルマップは所要時間30分だったのに、道がすいていて、20分で着いた。無事、乗車。
親友たちと別れるこの日、私達4人は、私の家から虹を見たのである。
何年ぶりに見ただろう。1時間おきの乗り継ぎは列車で爆睡していて起こされる息子を不機嫌にさせた。
5分の乗り継ぎだから、走れ走れと息子に言う度に、増々、彼を不機嫌にさせた。
夏休み前につき、自由席はがらがら。二席確保して離れて座る私たちであった。
4時間で信州。これは快挙である。従兄弟たちも4時間はあり得ないとびっくり。
確かに私の小さい頃は丸一日かかって帰ったものだ。
早起きは3文の徳!奇遇、その9
もう惚けている90の叔父。今年は私が誰だか分からないかもしれないと、一応、気持ちの準備はして”私は誰?”と訊く。今年もトライアルはパス。私の名前をはっきりと言った。そして私の従兄弟は相変わらず、私の父の名前。大阪に3歳で移り、数える程しか帰ってこなかった信州、一体私はどうやって強烈な印象を叔父に植え付けたのだろう?叔父は優しい顔で私を愛す!私が息子を連れて初めて叔父のところに言った頃は、叔父も頭がしっかりしていた。英語しか喋れない私の息子と2人で釣りに行って帰ってきたら、”お前の息子は日本語も喋れず、唖ずら”と言った。だから私は叔父を”アンタは英語も喋れず聾ずら”と言い返した。昔は酒を一緒に飲んだ、煙草も一緒に吸った。こんな仲だったから、忘れないのかなぁ?
出来るだけ、長生きして下さい!I love you!

今回は会ったこともない母の義理の弟の息子、私の従兄弟になるのか?に会うことになっていた。彼が私を連れて行った寿司屋は、私の母の納骨式でお葬式に来れなかった親族を呼んで食事会をした寿司屋だった。彼は12歳、一回り下。初めてのお子さんの予定日がなんと、私の誕生日であった。偶然の一致も3つあると不思議な気がした。
奇遇、その10
東京では会えないと思った仕事先、2件とも会えた。
京成ラーナーで空港のため、ホテルは上野辺り。だから、上野で落ち合って晩ご飯を一緒に食べることになっていた。彼女は3人のお子さんとその子供たちのベビーシッターをしていたという方とそのお母さんとも会うことにしていて、私達の団体は上野公園の探検となった。
彼女は昔この付近の大学に通っていたので、大変くわしい。
私達は初めてなので物珍しい。西郷隆盛の銅像も初めて見た。不忍池に行くと屋台が出ていた。看板に”灯籠流し、7月17日7時”とあった。7が3つ。今日である。
計画してもなかなか来れないお祭りである。
私達はここで屋台の食べ物で夕食を終え、灯籠流しを見ることになった。子供たちも大喜び。
私と息子は怖いながらもおみくじを引いた。私は大吉に大黒天が付いていた。
虚無僧達、僧侶達、そして住職様のお経が始まった。私は思わず、カバンに入れていた数珠を出した。息子の分まであった。地震、津波の被害者の方々の弔いも兼ねていた。日本滞在中に、あの日、仙台に住んでいた友達と8年ぶりに電話で話をすることが出来た。地震の時の模様も聞いた。すぐ近くの人たちが沢山亡くなってしまったということだった。バラバラにいた家族全員が無事だったのは奇跡のようだと言っていた。人生に後悔がないようにと彼女は3人の子供を連れて彼女の里、福岡に戻った。新しい人生が始まっているようだった。しかし、ご主人はご自分が産まれた仙台を捨てられず、残られた。
池に流されて行く灯籠をこの目で見たもの初めてだった。あの灯火にはいろんな思いが入って居るのだろう。神の御加護を。東京では中学からの親友にも会えた。彼女はギラン・バレー症で身体の自由がきかなくなり、辛い思いをして行きている。私の辛いとは桁が違うのかもしれない。彼女のために祈れるだけ、祈りたい。早くにご主人を亡くして一人で2人の子を育てられた84になる彼女のお母さんのことも祈りたい。神の御加護を。
ラッキー、その1
ついに帰国に日。2時半に空港だから午前中を有意義に過ごしたいと、荷物を上野のコインロッカーに入れて浅草に行くことにした。暑くなければ上野から歩いて合羽橋を通りたかったが、やたら東京は暑かった。銀座線で浅草。
8年程前に訪れた時は雷門の提灯は修復中で私達の浅草の写真にない。だからもう一度、機会があったら行きたかった。18日は海の日で休みで、連休だったからか、人出は多かった。これは活気があってそれなりに良かった。最後の日は何を食べようかと考えていたがちらっと、ラーメンかなぁと思っていた。すると、木馬座の前のお食事処にラーメン半額と書かれていた。入らずにはいられなかった。とっても美味しかったです!
そこに私が忘れた化粧品を持って身体の悪い友達の娘が来てくれた。彼女の彼氏と。こんな風に会えるもの縁であると思う。彼女にも神の御加護を。
ここでも大吉を出して、急いで上野に戻る。18日、吉の日と書かれているからサマージャンボも3000円分、買ってしまった。京成ラーナーで切符を買うと後4分という。コインロッカーから荷物を出して間に合うか?走れ、走れ、ぎりぎり間に合った!ハイ、ファイブ!
ラッキー、その2
空港ではローソンで買った食べ物を持ち込めないと分かって、走って返品に。
ラッキーにも返品オッケー!けれど搭乗はぎりぎり。でも間に合った。

この旅で、走れ、走れを何回しただろう?
全ては神のなさるままの旅が終わった。
人生とは不思議なものである。偶然という必然は用意されている。
私達が引いたおみくじは大吉でも小吉でも吉でも末吉でも、言っていることはほぼ同じで、
“全ては丸く治まる”ということだった。開花だそうだ!
(Hoodie's Land の話を参照)
人生ぎりぎりまで諦めないで頑張れるだけ頑張りたい!

このぎりぎりという言葉。私の従兄弟の子供のその子供、3歳の子(ハク)が聞いているウルトラマンガイアの歌。この歌の一部を”ぎりぎりまで”というフレーズ、日本が喋れない息子が覚えて歌えた言葉なのだ。
私達はおそらく10年ぶりにこの歌を聴いたことになる。
大きくなったらウルトラマンゼロになりたいというハク。
なんていう関係になるのかなぁ?血筋のおばさんと変なアメリカ人のお兄さん?ゼントはハクとヒロム(従兄弟の娘の夫)とは大の仲良し。
男の子に恵まれなかった本家に男の子たちが仲間入り!
息子に日本で何を学んだ?と聞いたら, 僕には日本で帰るところがあると言った。
私の愛する信州のことらしい。
こんなことが起こるのだなぁとつくづく思う。
ここは私と従兄弟が小さい時に遊んだ観音様。世代交代である!
少し感傷的になる写真です。
きっと私の息子は自分で自分の日本を作っていくだろう。

頭の整理で書いた帰国の話。終わりのつもり。
明日からちゃんと仕事します!

0 件のコメント: