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2010年2月25日木曜日

雪、雪、また雪で、オリンピック。

8時に雪かきをして、車にかぶさっている木の雪も下ろしたのに3時間後でこの状態。湿気を含んだ重い雪。
足首の捻挫もマシになって、ようやく歩けるようになったのに、この雪でぎっくり腰なんて、困るなぁとゆっくりゆっくり雪かきしたけど、明日の朝は、もっと大変そう。
学校は休み。私はNYに仕事に行こうと思ったけれど、行かないと思う。
なんせ、この雪。
追加ーこの写真が次の日の雪かきの後。車が出れるようになってから,雪かきをしていて親指を痛めたと言う息子の為に湿布薬を買いににドラックストアに出かけると、雪が重たかったためにあちこちの枝が折れて被害がいっぱいの私の町。なんか他の町より雪が多いような気がする?

オリンピックも終わりに近づいてきました。
アメリカは一杯、メダルを取っています。
日本も応援しているけれど、なかなかメダルに到達しません。
今日はフィギュアスケートで浅田真央が銀メダル。
金妍児(キム・ヨナ)の高得点で金メダル確実とアナウンサーまで絶賛しているそのすぐ後の演技だったから、プレッシャーも凄かっただろうによくやったと思います。
こうなると彼らの技術より、精神状態の事を気にかけてしまいますね。
堂々と演技をするみんなは凄い根性だなぁと感心します。
高橋大輔はアメリカのエヴァン・ライサチェクやロシアのエフゲニー・プルシェンコに注目が集中している中、よく頑張りました。
織田信成、小塚崇彦もよくやったなぁって思います。
アポロ・アントン・オオノのおとうさんは日本人なので、やっぱ、特別応援してしまいます。ミライ・ナガスもアメリカですが日本人として応援してしまいます。彼女も最後のスケーターだったけれど、立派に滑ったなぁと関心。
16歳でうちの息子とそう変わりませんが、彼女の名前と同じで彼女には、”未来”がありますね。
少なくとも、私のようにアメリカに住んで子供を育てている立場からいうと、アメリカに住む日本人の活躍に、拍手です!やっぱ、親の姿勢が子に繋がるわけですから。
アイスホッケー、1980年のミラクル/アメリカがロシアに勝った2月22日から30年。
この時の勝者、マーク・ジョンソン(ロシアとの試合では4ゴールのうち2ゴールが彼)が女子のホッケーチームのコーチで30年ぶりに彼に金メダルと期待したけれど、カナダが優勝してしまいました。
まだ、男子ホッキーが残っています。ロシアがカナダに7−3で負けているし、アメリカは5−3でカナダに勝っているし、さて行方は??
”ミラクル”この映画は凄く良くできた映画です。凄く実話にそって作っています。関心!
ここに出ているプレーヤーはほとんどが本当のアイスホッキープレイアーをオーディションで選んだので、演技は素人です。
見ていただければ分かりますが、全くそんな風には思えない演技です!
私達はおそらく30回くらい見ています。見てください!

2010年2月22日月曜日

悲劇のプレジデントウィーク

リンカーン(2/12)とワシントンの(2/22)誕生日を挟む2月の第3週目はプレジデントウィークと呼ばれて1週間休みにする学校が多い。私の町も3年前まではそうだったが、今は月曜と火曜の二日間だけ休みである。
この週はアメリカの冬休みみたいな週と思ってもらっていい。この期間はリゾートはやや込み合うので格安では旅行できない。だから私としてはうちの町が休みにしないのはありがたいことである。
第2週目に大雪が降って、二日も雪で学校が休みになったので、スキー、スキー気分の我が家であった。冬は短いので、雪に恵まれた時にはそれを謳歌しなければならないと私達は思っている。
Mountain Creekのサイトに行って、Terrain Park Floaty 3 on the Step Downというのをクリックしてもらうと、うちの子のジャンプが見れる。(いつまでアップしているかは分からないので、なかったらごめんなさい)
ジャンプ、何回転するか、レール、こういったトリックを練習するためには、できることなら毎日でも行きたいところだろうが、学校、宿題、他のスポーツ(アイスホッケーにバスケット)試合に練習、その上スキーだなんて、そう簡単なことでもない。しかも連れて行くのは親である。
スキー山の麓に住みたいぐらいだ。

このジャンプは大変危険である。着地が急な坂になるのでスキーがはずれたりする可能性が高い。実際この日、彼ははずれたスキーで唇を切ってドラキュラのようになり、真っ白な雪に真っ赤な血で染めた。しかもしばらく動かなかったので、歯を折ってしまったのかと思った。救急室で見てもらったら、少し唇を切っただけでたいしたことがないと言われると、本人も私もほっとした。
その日の夜に自分のジャンプがスキー場のサイトに載っているとわかって、“この怪我はもう気にならない。”と、ますます意欲的である。
大雪のお陰で、木曜、土曜とスキーに息子とその友達、Fを連れて行った。

Fの家族(双子の弟と妹がいる)は湖のほとりにある別荘に土曜日から行くが、Fはバスケットの練習とインドアサッカーの試合があるので一緒に行けない。私たちも日曜日にはアイスホッケーの試合があったので、その別荘には行けなかったので私がその子を週末預かって、日曜の夜に私達がその別荘に行くという事になった。
そして、プレジデントウィークの月曜と火曜が休みをその辺りにあるスキー場で私たちもスキーするという事に何となくなってしまっていた。
私もこのスキー場には7年前に行ったきりだったので、久しぶりに行ってもいいかと思った。
私は彼の両親もこの二日間、そこにいると思っていたが、火曜日には仕事に行かなくてはならないと言って月曜に帰ってしまった。これは私の予定外だった。
私はかわいそうにも、この二人のティーンエイジャーの面倒をもう一日、一人で見なくてならなくなった。
こないだの日本の出張の時、うちの子を預かってもらったので、これも使命と受け入れたが、この状態での6日間は長かった。私の逃げ場所がなかったからである。
親がいなくなって、別荘の主となった金持ちの息子,FはXーBOXをリビングルームの大きな液晶テレビに接続し、アメリカンアーミーがテロリストを殺すというゲームを始めた。

晩ご飯は彼の勧めで日本食のテイクアウトとなった。
そのメニューにある住所をナビは読み取らないので、Fについて来てもらおうと思ったが、ゲームをやめない。”どうやってそこに行くかなんて知らない。20分ぐらいかかるから、すぐにでも出た方がいい。”と言って自分はついてくるつもりはないようなので、息子を連れて出かけた。
雪の降る中、私達は迷い、何度もそのレストランに電話を入れた。
一時間以上かかって、ようやく食べ物を持って帰ったら、私が席に着く前に既に食べ、食べ終わると、すぐにゲームを始めた。

その家はかなり高い温度に家の暖房をセットしていたので、特に2階は乾燥していて、私の咳は止まらず、部屋の窓を開けていたが、凄く体調が悪くなった。
部屋にある小さなテレビでオリンピックを見ながら休もうとしたが、一階から聞こえるライフルガンの音がうるさくて、全く休めない。
画面が血だらけになるゲームなど見たくないので、下に飲み物を取りに行くも億劫で、息子に持って来てもらった。
ゲームに興味のない息子は2階の別のテレビでオリンピックを見ていた。
12時についに私はその子を”ゲームをやめて寝るように”と怒鳴ってしまった。

次の日の朝、雪が降っていてコンディションも良くなかったし、私はどうしてもスキーに行く気になれなかった。
起こしても起きない子供を連れて行く気もしない。
しかも起きるなり、ゲームを始めたから、たまったもんじゃない。

うちの息子は小さいときから、ゲーム向きでなく、1時間もするとすぐに飽きで外に遊びに行きたくなる。だからPSPのブームの後から、Wii, XーBOXなどはうちにはない。
最近の子供たちがどんなゲームに中毒になっているかなど全く知らなかった。
親は何百ドルも出してX-BoxやWiiを買い、液晶テレビに買い替え、この手のソフトを買い与えているのである。お金のある家はツーインカムだから、ずーっと親が家にいるという事がない。しかも、家も大きいので地下室とか親が入らなくてもいいところを子供に与えれる。親は2階の自分の部屋で自由を手に入れれるので、機関銃の音も聞かなくてもいいし、画面の血も見なくてもいいのである。
息子の話ではアメリカではなく全世界のブームで85%までの子供がこれらのゲームに熱中しているという。驚いて声も出ない。

人の家で睡眠もうまく取れなかった私はジャンプの山の側面を滑って行く息子とFの後について、つい同じところ滑ったら、少しジャンプしてしまった。これも予定外で、着地に失敗して転んでしまい、即座に外れなかった左足のスキーで足首をひねってしまった。
立ち上がろうとしたらかなり痛かったので、息子に電話して来るように言って座って待っていたら、他のスキーヤーが救急隊を呼んでしまった。
立てないならソリで下まで連れて行くと言う。この際だから御世話になることにした。これはスキー歴の長い私にとって始めての経験だった。
救急隊は私をトレインパークで拾ったのと、私は小さくてティーンエイジャーのような格好だしゴーグルして口も覆っていたから、私が35歳以下である事を疑わなかった。
ゴーグルを外して歳がばれるのが怖かった。もちろん、書類に私のインフォメーションを書き込まなければならなかったので歳は簡単にばれてしまい、恥ずかし思いをした。苦笑。

スキーのブーツでは歩けないので靴を車から取って来てもらおうと、息子に電話をすると、
電話の向こうから、
”お前の母さんのファッキングシューズを取りに行けだって?”
とFの言葉。
”カーシングワードを使うのはやめなさい。” 私は怒鳴った。
”お前の言った言葉は母さんに聞こえているんだぞ”と息子はFを嗜めた。
ファックやヘル、カーシングワード(呪いの言葉)がひっきりなしに彼の言葉に入っていて、そういった喋り方が嫌いな私はずーっと嫌な思いで彼らの会話を聞いていたので、そういう言葉は使わないようにと朝に注意したところだった。
こうして思い通りにスキーが出来なかったFはずーっと不機嫌で、その顔を見ながら食べる高い昼食もまずくなった。息子は山に戻って滑りたいと言ったが、Fはもう滑りたくもないというので、別荘に戻った。そしてまたライフルで人を殺し始めた。スキーをしてくれていた方がマシであった。
ミスター・ムーディを母親がFの事を呼んでいたが、確かにミスター・ムーディ、ティーンエイジャーの代表であった。

私にとって最低なプレジデントウィークの休みになってしまった。
ありがたいことに左足なので車も運転できるし、仕事が家でできるので、生活に支障はないが、足を引きずっていると気分も落ち込む。

オリンピックに加担している?と私の友達。まぁ、そういうことにしておこう。
確かに今回のオリンピックはアクシデントの悲劇が多い気がする。

この怪我でスキーがしばらく(どのくらい?)出来なくなったのは、とてもとても悲しい。
運動を全くしないから、こういう怪我をすると息子はいう。確かに犬の散歩だけでは筋肉がなくなり、力もなくなり、弱々しくなっている。
この怪我が治ったら、ジムとかヨガに通うことを考えた方がようさそうだ。
今年は随分トリックが上達しているので、私の怪我でスキーに行けなくなると困る息子は、おどおどと私にスキーに連れていってくれるかと打診している。コンピューターを持って行って、ラウンジで仕事となるのだろう。
私はこの足の早期回復を願う私である。チャイナタウンの鍼に行ってこよう。(前回の故障はこの名医に治してもらった。)

世の中の贅沢な子供たちよ。親は苦労しているんですよ!感謝しなさいと叫びたい。

心にゆとりを持って生活するというのは大変難しい。

2010年2月7日日曜日

イントゥ・ザ・ワイルド

今年は心のゆとりを持って行こうと決めて以来、クリスマスプレゼントのテレビの前に座る時間を増やした。カウチに座ってルーレットのようにケープルの映画のジャンルをチェックして、興味のある映画に出くわしたら見るといった行き当たりばったりの賭けをしている。
私がルーレットでチャンネルを合したら、ウィリアム・ハートの顔。その後、エミール・ハーシュが映った。これですでに興味を持った。(私は勘で映画やレストランを探す性格なのです。的中率が非常に高い。)
ルーレットはビンゴ!

”イントゥ・ザ・ワイルド” ショーン・ペンの監督・脚本 エミール・ハーシュ主演
2008年の作品です。
エミール・ハーシュは”ロードズ・オブ・ドッグタウン” Lords of Dogtownでジェイ Jayを演じて以来、気にかけている男優である。その後は”ミルク”に出演。
これが縁でショーン・ペンと懇意になって、この映画の主人公に抜擢されたのだろうか?
映画はもう始まっていたが、5〜10分程だと思う。
息子がなんて映画?というので”イントゥ・ザ・ワイルド”というと、2、3年前に私の友達がもうすぐ公開される映画で”イントゥ・ザ・ワイルド”といのは実話に基づいていて、本は非常にいい出来なので映画も期待していると言ったらしい。それを覚えていて、自分も興味を持ってしばらく一緒に見ていた。
けれど、どうしても見逃したくないXゲームのスキーが映画が終わらないうちに始まってしまうので、私の部屋のテレビもつけた。行ったり来たりしながら、映画も見ていた。
私には有り難くない映画の見方なのだが、チャンネルを奪われるよりマシであった。

私達は本を読んでいないのでストーリーを知らなかった。
いつか彼は死ぬんじゃないかと私は思ったが、息子は死んだら本にならないとハッピーエンドを期待していた。
期待はずれの結末が次の日も次の日もこの映画のことを考える要因となった。
”あんな風に死んでしまうなんて”と息子が次の日に言った。
元気で両親の元に戻って、経験を本して出版したという筋書きであって欲しかったらしい。

彼がまだ生きていたら、彼は本に書かなかったかもしれない。
彼がまだ生きていたら、映画にはならなかったかもしれない。
そして誰も彼の話しを知らないかもしれない。
仮に彼が話しても誰も信じなかったかもしれない。

彼が書き続きたノートが完了したとき、神様は彼を連れて行ったのだ。
彼は彼が生きた証拠を残して死んだ。そしてそれをこうして映画にして私達に知らせたのだ。
まだ、生かされている私達にはまだやり残していることがあるからで、完了しなくてはいけない。まだ課題が残っているんだわ。
と息子に私の意見を述べた。

息子にはこの本を読んで欲しい。


私もかつて息子のような成長期にこのような本をたくさん読んだ。
映画などは暇があれば映画館に出かけた。3本立てで洋画をあさったものだ。
ビデオが主流になると一日中、いろんな映画を見ていた。学生だったからできたこと、親元に住んでいたからできたことが一杯あったなぁと思い出す。コンピューターもなかったから、マニュアルで楽しめることがたくさんあったんだろうなぁ。

息子はやはりコンピューターに時間を取られて本を読まない世代になってしまった。
映画は産まれた時からこんな私と暮らしているので、興味があるようで結構たくさん見ていて、映画の趣味も私と似通っている。14歳にしては上出来!

この映画のサウンドトラック、Eddie Vedderが作った。彼はアイ・アム・サムでビートルズのYou've Got To Hide Your Love Awayを歌っている。
息子はこの映画がきっかけでビートルズファンになった。
この映画の主人公の精神年齢は7歳、その娘も7歳、うちの息子もその時7歳で、サムが可哀想だと泣いたのである。ヒック、ヒックと泣いた息子を見たのはこのとき限りである。
私はビートルズのかなりのファンで、これをきっかけに息子にビートルズを聴かすことになった。この年のクリスマスプレゼントはこの映画のサウンドトラックでこのCDを車に入れていたので、スキーやアイスホッケーに行く長時間ドライブにはいつもこのCDを聞いていた。2、3年くらいは同じCDを聞き続けていたような気がする。
これもショーン・ペン主演、きっとここから彼らのコネクションは続いているんだろう。
しかも、Eddie Vedderは私達の好きな”ビッグ・フィッシュ”でも音楽を担当していた。
Eddie Vedderをしばらく聴いてみようと思う。

2010年2月1日月曜日

ご加護が一杯だった巣鴨から庚申塚

今回の出張帰国の最後の日は巣鴨となった。
本当は23日に来ようと思ったけれど、24日/帰る日の朝に来ることに変更しました。
赤いパンツを買いに行く?とタエコが言ったが、実際のところ、その赤いパンツの意味が分かっていなかった。ばあちゃんの原宿ってのも理解していなかった。
駅を出ると、おっと、ばあちゃんでいっぱい。巣鴨地蔵通り商店街という看板に向かうにつれて混雑はますます本格的に。それもなるほど、縁日でお店が出ていた。
私はアメリカでは小さいが,ここでは大きい気がした。混雑していても先が見えたからです。ばあちゃんたちは私よりずーっと小さいのでした。

この混雑の中、目に留まった塩大福。早速購入。
外の餅がしょっぱいから、甘みが増して大変美味です。何かと新鮮なディスプレイこれって随分昔からあるデザイン。
いまだに使っているなんて,凄い。かなり混雑していたのと、いろんなお店や屋台の食べ物が気になりすぎて立ち寄るため、なかなか前に進まず,何処がとげ抜き地蔵と言っているころ、このサインが目についた。境内に入ろうとするところから,観音様に触れようとする人の長い列は始まっており、線香を投げてその煙にご利益を貰おうとする人、本堂に行く人、とにかく凄い混雑で、私はやっとのことでお賽銭を投げ入れ,本堂前でお参りは出来たが,これじゃ,神様も誰が誰やら分からないだろうと思った私でありました。時間的な余裕もあり,観音様に並ぶことは諦めて、横から出て商店街に戻って歩き出すと,待望の赤パンツ屋。本当に暖かいかどうか楽しみです。私は外が黒で中が赤いシャツとタイツも買って零下のニューヨークおよび、スキーにトライします。
お店からお店でいろいろ見て満喫。日本に戻るとサイズが合うので買い物したくなる物が多く,興奮状態になってしまうのを制御するのが大変。買い出したらきりがない。
1000円均一のお店でシニアグラスと眼鏡ホールダーを買って
ばあちゃんの原宿にマッチしている私達。
この商店街,縁日が終わるのはこの大神に出くわす辺り。申年でもある私は”猿”に御縁とここの神様にもお参り。
ここにチンチン電車が通ると云えば、すぐに電車が通って写真が撮れたし、何となくいいことありそうな気配。
ご覧の通り、駅も混雑。私の帰国の時間に迫って来たため、ここで私達はUターンして、屋台の食べ物を買って、他のばあさんたちのように立ち食いすると決め、ダッシュで食べ物を確保。
焼きそば、たこ焼き、お好み焼きなどを買って、昼ご飯となりました。あれもこれも食べたい、大変難しい選択でありました。出だしに戻った辺りにあったせんべい屋。
興味もあるせんべいだが。ニンニク、開運厄除。
でも時間切れ、次回に続く!
上野に向かったタクシーの運転手さんが巣鴨が混んでいたのは4のつく日だったから,しかも日曜日、しかもお天気がよかったからと教えてくれたんで、アメリカに戻って調べてみると。

とげぬき地蔵尊高岩寺の大祭は年3回、「正五九」の24日、つまり1月24日、5月24日、9月24日である。大祭は午前10時30分と午後3時30分の 2回、本堂で大法要が行われる。来馬住職以下20人位の僧侶による「大般若経」の転読は圧巻である。無病息災のご利益にあずかろうと、大勢の善男善女が経 文の風を受け、僧侶の衣に触ろうと手をのばす。この日は10万人からの人出で、JR巣鴨駅から都電荒川線・庚申塚駅まで露店も200軒ほど出る。お参りが てら下町の雰囲気をお楽しみの程。

凄いご加護を預かった気がしました。予定したってなかなかこの3日の大祭には行けません。