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2008年9月5日金曜日

50%ジャパニーズ

まだ頭が50%日本のうちに日本で思ったことをを書いておこう。

日本に10年以上帰れなかった頃の私は,私の中の日本とアメリカが(言葉を含めて)相対していて,オーバーラップすることがなかった。日本は日本、アメリカはアメリカ。

最近、一年に2回も帰り、Eメール、スカイプで毎日のように友達と話し、随分、二つの国がオーバーラップして来たような気がする。
日本に着いて1週間は息子に日本語で喋り,友達に英語で喋っている回数が50%、次の週には25%、ついにパーフェクトになった頃、アメリカに戻り、今度は息子に日本語で喋り、”Mom、I don't understand what you say."と怒鳴られるのである。
母がアメリカに来た時は、アメリカ人のところに日本語でメッセージを残したらしい。
あの頃よりはずーっとましになったと思う。

歳をとって、老人ホームに入れられて,惚けた私は日本語でトロが食べたいとか、ウニが食べたいとかアメリカ人に言うんじゃないだろうか?
それまでになんとか息子と彼氏は日本語を学んで欲しいものである。
死に近づく親にせっせ,せっせと食べ物を私が運んだように、せめて、息子もそのぐらいのことを私にしてくれないだろうかと期待しているのだが、日本語が分からなければ、私の欲しいものも私の口に入らない。
これは真剣な問題である。

息子と彼氏を連れての帰国は、こういった私の計算がある。
息子だけでは当てにならないので彼氏も教育する!

息子は滞在中に日本語がやや上達しているようだ。私が教えると聞かないけれど、他人様のことは聞いているようである。やはり,2重出費でも、やかましくても、私の行きたいところに行けなくても、老後のことを考えて,息子を連れて帰ろう。

日本に帰る度に日本には感心させられる。カルチャーショックというやつ。

昔はちょっと変わったことをすると,みんなが見ると言ったものだが、今はみんなが変わっていて誰も気にもならない。
髪を金髪にしたり、付けまつげをしたり、昔は特別な職業の人だけがするオシャレだったけれど、いまや日本人文化になっている。みんながしている。付けまつげを付けてこってりお化粧した女の子たちは、みんな同じ顔に見える。その上、表情がない。

友達の誘惑で私も付けまつげをしてみた。簡単に顔を派手にしてくれるので悪くないなぁと思って毎日付けていると、息子はその"Doll face”をやめてくれと言った。"Doll face”(人形顔)とは言い当てているなぁと思った。
日本にいる時毎日着けていた付けまつげも、こちらに戻ると付けようなどという気はすっかりなくなってしまった。

アメリカの子がズボンを下げて,下着を見せているのをかっこいいと私は思わない。(うちの息子も下げているが。)ここまで下げてどうやって歩くの?って思うほど下げているのがアメリカ。スキー場で完全に下がったスキーパンツて飛んだりはねたり出来るってすごいと思ってる。パリに行ったときには,このだらしないファッションを見かけなかった。それなのに、この半年で,日本でもはこのファッション上昇ぎみ!
ねえちゃん、シミーズ見えてるよって、わざとスカートの裾からレースを見せている私に言ったおばちゃんを懐かしく思い出す。
そんなこと今の時代に言ったら殺されると現代人が思っていることを悲しく思う。
どうしてあぁいったおばちゃんを失ってしまったんだろう。

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